開店休業

いったんこの日記を離れようと思います。 削除はしません、はてなダイアリーが存続するかぎりは放置するつもりです。 いままで見てくださった方々には感謝いたします。またどこかでお会いしましょう。

ある訣別の辞

かつて熱中したことどもがもはや何の感興も喚ばなくなっている。あんなに好きだったあれやこれやがひどくつまらない無価値なものにみえてくる。それが老化というものなのかもしれない。それならそれでいい、かつて私の愛したものたちよ、さらば。私は私の道…

現代詩について思うこと

思潮社から二冊本で出ている「戦後名詩選」は非常によくできたアンソロジーで、ここまでコンパクトなかたちで戦後詩(ほぼ現代詩と同義)を圧縮してみせることは容易なことではない。その点に関しては編者(野村喜和夫、城戸朱理)の努力をたたえたいと思う…

ヘレン・ケラーとスウェーデンボリとストリンドベリ

名画として知られる「奇跡の人」を見たが、どうも感想を書くだけの気力が出ない。ただ一言だけ言っておこう、これは名画ではない。「奇跡の人」の原題が The Miracle Worker で、つまりサリバン先生のことを指しているというトリビア(まさにトリビア!)だ…

倒逆睡眠法

ちょっと時間に余裕ができたなかな、と思ったとたんに過酷な業務命令が下って、またしても魚が水面であぎとうような生活に戻ってしまった。もうこの状態がおれにとっての常態であって、余裕ができるなんてのはよほどの僥倖だと思っていたほうがいいのかもし…

アメリカ嫌い

きのうの日記を書きながらふと思ったのだが、私は題名に「アメリカ」の文字があったらまず敬遠することにしている。いや、敬遠というのはよくない、見ずに素通りするといったほうがいい。理由はといえば、アメリカという国が昔から、ほんとに子供のころから…

サイコパス小説二篇

かつて私を死ぬほど苦しめた人間が、じつは典型的なサイコパスだったことをいまごろ知る。それと同時にサイコパスに興味が出てきたので、その手の人間を主人公にした小説があったら読みたいと思って調べてみたら、「教えてgoo」に回答済みの質問がいくつも出…

花と女と

詩の話ばかりで恐縮だが、詩人の日夏耿之介に「唐山感情集」という漢詩の訳詩集があって、その巻頭を飾るのが清の馮雲鵬の「二十四女花品」というもの。二十四種の花をとりあげて、それを女に見立てて歌った連作である。これには訳者による小引がついていて…

ケータイ小説としての「クラリッサ・ハーロウ」

近代小説の元祖とされるリチャードソンのクラリッサだが、こんなクソ長い小説を当時だれが読んでいたのだろうか、と考えると、それはやっぱり女性、金と暇のある中流階級以上の女性ではなかったかと思う。男はこんなものは読まないだろう、小説なんぞは女子…

痔のアンソロジー

ここ数日肛門の具合がわるくて、幸い坐薬を入れたらよくなったが、しかしお尻がこういう状態になったのはこれが初めてではない、もうだいぶ前からいわゆる痔ケツになってしまっているようなのだ、情けないことに……まあ一病息災という言葉もあるくらいだから…

少女時代との出会いと別れ

ネットで遊んでいると、ときどき思いがけないものに出くわす。数日前だが、リンクをたどっていたらメキシコの虐殺動画が出てきてびびった。こういうものまで今ではふつうにネットに上っているのか……非常によろしくない、と思う一方で、文章だけでは伝わらな…

わたしにとっての原風景

岩田慶治という人の「花の宇宙誌」(青土社)という本のなかに、「あなたにとっての原風景とは何か」という設問がある。原風景とは、いってみれば自己のアイデンティティの根本を支えている風景やイメージ、もしくは原体験のことだ。そして、学生たちにレポ…

心の貧しい人

「幸いなるかな心の貧しき者、天国はその人のものなり」というのは有名な山上の垂訓の冒頭にある句だが、この「心の貧しき者」というのがどういう意味なのかよくわからなかった。ここでは心が貧しいことはけっしてわるい意味ではなく、むしろ天国に入るため…

手塚アニメとわたし

というエッセイ風の恥ずかしいタイトルをつけてみたが、まともなエッセイを書くつもりはない。というのも、私は手塚アニメの絶大な影響のもとに育ったと自分では思っているけれども、よくよく考えてみると、それらアニメの筋も、おおざっぱな内容も、セリフ…

ネット上の詩論ふたつ

子供のころから詩が苦手で、いまだに詩というものがよくわからない。しかしわからないなりにも好きな詩と嫌いな詩とどうでもいい詩との区別はつく。それだけ区別がついていれば十分じゃないか、と思うが、問題は「好きなのにわからない」という場合である。…

性懲りもなく

ブログを新設する。ここ一週間ほどそっちにかかりきりだった。検索よけのためにいろいろと工夫したつもりだったけど、検索エンジンというのは予想以上に強力で、特定のワードで検索するとあっさり出ちゃうんだよなあ……困ったことだが仕方がない。まあ、ほん…

「詩王」といえば

大正時代にそんな題の詩の雑誌(同人誌?)があったらしい。その同人の一人に矢野目源一がいて、処女詩集「光の処女」を出した。これは古書業界ではつねに高価で売買されるもののひとつだが、内容はそんなに大したことはなくて、どっちかというとしょぼい詩…

詩王とは何か

フランスの詩人に贈られる称号「le prince des poètes」につい… / ルコント・ド・リ… - 人力検索はてな 私は「詩王」という訳語しか知らないのだが、どうやらあまり一般的でもないらしいね。たしかに仏ウィキペディアでも扱いは軽いし、おそらく桂冠詩人ほど…

屍体2793ツイートにて死す

ツイッターだが、もう何ヶ月も更新していないのに、ときどき新規フォローの通知がくる。まあたしかにプロフィールページをぱっと見ただけでは何ヶ月更新がないとかそういうことは分りにくい。事実上の死に体なのだが、必ずしもそうは見えないらしい。という…

マラルメのソネット

私の中でずっとくすぶっていて、いまだ解決していない問題に、「マラルメはほんとうに偉いのか?問題」というのがある。いや、たしかに偉いんだろうけど、そんなに特権化、神格化されるほど偉いのかな、とずっと疑問に思っているのです。日本で出た全集だっ…

トレンブリの「モネル」論

もう長いことほったらかしにしている「モネルの書とその周辺」だが、じつはこのブログのためにペーター・クルンメという人が書いた論文(独訳「モネルの書」の解説)を訳していて、あらかた訳し終ったときにパソコンの不具合で他のデータもろとも飛ばしてし…

肉体について

ウェブを見ていたらトリストラム・シャンディに関するすばらしいサイトが見つかった。こういうのを見ていると、いまさら私がレジュメなんか作っても仕方ないんじゃないか、と思う。まあだれのためでもなく、自分のためにレジュメは作るつもりですけどね…… 電…

観念の蒐集家

やばいなあ、と思う。何がって、コレクションですよ、これがねえ……よく商品などになんとかコレクションと銘打ったのがあって、こんなもののどこがコレクションなんだよ、といぶかっていたものだが、じつはあれにはちょっとした拡販的タクティクスが込められ…

エティックとエステティック

知り合いや仲のいい人、あるいは自分に好意をもってくれている人の作品をこきおろしたりあしざまに言ったりするのは礼儀に反する行いで、ふつう人はそんなことはしない。「あまり興味がありません」と率直にいうことすら憚りがあってなかなか言えない。そう…

à la Twitter

さすがにひと月以上も更新しないとリンク元の数が千を越えるようだ。このままほっといたらどこまでも増え続けていくのだろうか。さて、久しぶりにラヴェルの「ダフニスとクロエ」を聴いていた。ほんとのことをいえば、ドビュッシーの「牧神の午後〜」よりも…

日夏訳「スフィンクス」について

だいぶ前にある人と共同で日夏の「スフィンクス」(ワイルドの長詩)を改訳しようと試みたことがある。その企画は私のほうで嫌気がさしてしまったのでお流れになったが、どうしてそのとき嫌気がさしたかというと、どんなものであれ個人が一個の作品として提…

「イビッド」競訳のこと

以前 id:SerpentiNaga さんにラヴクラフトの「イビッド」を二人で訳してみませんか、と話をもちかけたところ、快く承諾してくださった。二人で訳すといってもいわゆる共訳ではなくて、別々に訳したものをあとで見せ合うという、ただそれだけのもの。じつはそ…

「曼華鏡の旅」のつづきを……

メールをチェックしたら、weltnachtさんの名前が出てきて驚く。ツイッターのアカウントのフォロー通知だが、とりあえずはお帰りなさい、といっておこう。と同時に、weltnachtさんの姿が見えないのですっかりやる気をなくしていたイレル=エルランジェの翻訳…

詩はアンソロジーで読むべきか

丸谷才一ってまだ生きているのかしらん、と気になって調べてみると、ウィキペディアを見るかぎりまだご存命のようだ。そういえば何年か前に新訳「ロリータ」について新聞に書いていたくらいだから、生きていてもふしぎはない。おそらくは文学者らしい文学者…

極私的平井呈一論

先日Twitterで平井呈一の話題が出て、意外にも若い人にまでこの人の影響が及んでいるらしいことを知った。ネットで見てもおおむね好意的な記事がめだつ。私も「うん、平井呈一いいね」のひとことですませたいところなのだが、それではおもしろくない?ので、…