2006-04-01から1ヶ月間の記事一覧

「クラシック様式〜第一ウィーン派」

砂川しげひさ氏の快著「なんたってクラシック」(朝日文庫)に、「キセル・マニア」という言葉が出てくる。音楽史の初めとうしろ(たとえばグレゴリオ聖歌とアイヴス、ケージ)しか聴かないファンのことだ。ここまで極端なひとも少ないと思うが、さてわが身…

イアン・カー〜ニュークリアスのCD2枚

このところ、「ジャズ・イン・ブリテン」をきっかけに昔の英国ジャズばかり聴いているが、そんななかでも前から気になっていたのが、イアン・カーの「ベラドンナ」だ。これはCD化された形跡もないし、たまに見かけるLPもばか高い値段がついていて、どう…

「聖フランシスコ・デ・サビエル書簡抄」つづき

下巻読了。前にこの本は生涯のベストになるかもしれない、と書いたけれども、少なくとも今後ぜったいに忘れられない本になることだけは確かだ。この本を読んでいた数日間というもの、サビエルのことがどうしても念頭を離れなかった。おおげさにいえば、サビ…

「ポオ全詩集」

晩年のフーゴー・シュタイナー=プラークが挿絵を描いた本がとどく。出版社はニューヨークのヘリテージ・プレスというところ。この本はネット古書ではよくみかける。1943年刊行というから第二次大戦のまっただなかに出たものだ。そのわりには用紙にはシ…

「聖フランシスコ・デ・サビエル書簡抄」

上巻読了(アルーペ神父、井上郁二訳、岩波文庫)。和辻哲郎の「鎖国」からパジェスの本をへて、同系列の本の三つめだ。途中、いろいろ寄り道はしているけれども、いちおう今年の本筋はキリスト教関連のことになるだろうという予感がある。といっても、べつ…

ブリティッシュ・ジャズについて

さきに買った「ジャズ・イン・ブリテン」につづき、英国ジャズを数枚購入。「ワンス・アポン・ア・タイム」(アラン・スキドモア・クインテット、1970年) 「ザ・トリオ」(サーマン、フィリップス、マーチン、1970年) 「トリオ」(マイク・テイラ…

北原綴「美少女奇譚」

中年男による少女姦の物語(創林社、1987年)。と書くといかにもアレだが、内容はわりあいしっかりしているし、宇能鴻一郎ばりの文体もわるくない。なによりもこれは著者なりの「罪と罰」なのだと思う。北原綴が書きたかったのは、犯罪にまつわる実存的…

「日本切支丹宗門史」つづき

下巻読了。年代が下るとともにだんだんと記述が簡略になるのは、迫害につぐ迫害で国内にめぼしい信者が少なくなったのと、鎖国が強化されて外国人宣教師たちの日本への入国が困難になったためだ。この下巻で印象的なのは、フェレイラ神父の棄教と、そのこと…

「牧神の午後」散文訳(その4)

残念だが仕方がない。あの至福の境地へは、ほかの女が連れていってくれるだろう、その編んだ髪をおれの額の角に結びつけて。しかし、わが情熱よ、おまえは知っている、どの柘榴もすでにまっ赤に熟れて、その笑み割れた実のまわりには、蜂がぶんぶんうなって…

言葉が先か、霊感が先か

「ユリイカ」の臨時増刊号(ステファヌ・マラルメ特集、1986年)を見ていると、詩人の高橋睦郎氏が鈴木信太郎の訳詩を評して、「鈴木美学の度のきついレンズを通して著しい屈折を受けたマラルメ」と書いている。さすがは詩人、うまいことをいうな、と思…

「牧神の午後」散文訳(その3)

だから、逃避の楽器よ、いたずらものの葦笛の精シランクスよ、もう一度あの湖で若々しい花を咲かせておれを待っていてくれ。自分の評判が自慢のおれは、女神たちについて長々と語ろう。そして偶像のように熱愛する彼女らを絵に描いて、その影像から帯までも…

マラルメ対ドビュッシー

ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」を聴いていると、いつもきまって大きい消しゴムでもかんでいるような気分になる。その消しゴムのようなものが体内でふくれあがるような、奇妙な感覚だ。今回の分を訳しながら、ふとそれはマラルメの詩にある(re)gonfl…