サイコパス小説二篇


かつて私を死ぬほど苦しめた人間が、じつは典型的なサイコパスだったことをいまごろ知る。それと同時にサイコパスに興味が出てきたので、その手の人間を主人公にした小説があったら読みたいと思って調べてみたら、「教えてgoo」に回答済みの質問がいくつも出ていた。それらを見ると、たいていの人のあげるサイコパス小説の決定版はどうやら「羊たちの沈黙」にとどめをさすらしい。これは映画は見たことがあるが、小説のほうは未読である。そこでさっそくアマゾンのマケプレ(¥1なり)に注文を出した。

で、到着したその本を読み出したのだが、これは……

……うーむ、これを最後まで読み通した人を私は尊敬する。私は10ページほどで我慢ができなくなった。これまでけっこういろんな翻訳書を読んできたが、これほどのものにはお目にかかったことがない。どうがんばってみても読み通せそうもないので、ゴミ箱にポイすることにした。いままで本をゴミ箱に捨てたことは一度もないが、こんなもの古本屋でも引き取ってくれるはずもないので、不本意ながらこの世から一部抹殺することにした次第である。

さて、教えてgoo(ではなかったかもしれないが)によると、ガルシンの「赤い花」もサイコパス小説になるらしい。これは昔岩波文庫で読んだが、筋を完全に忘れていたので、再読しようと思って本を探したが見つからない。もしかしたらネットにテクストがあるかもしれない、と思って探したらあっさりと見つかった。仏ウィキソースに無名氏の訳したのが載っている。で、さっそくこれを読んでみた。

これは厳密には、いや厳密にではなくともサイコパス小説とはいえない。その点では肩透しを食わされた気分だが、それにしてもなんというすばらしい短篇だろう。読んでいて胸が痛くなってくる。ロシア版「残酷物語」の一篇に数えらるべき名作。

ところで考えてみれば、サイコパスという言葉自体は比較的新しいもののようだが、そのたぐいの人間は大昔からいたはずで、彼らがどんなふうに呼ばれていたのだろうか、と考えてみると、pervert とか degenerate とかの言葉で表現されるのがそれではなかったかと思う。根拠としては、クラフト=エビングの「プシコパチア・セクスアリス」をあげておきたい。