観念の蒐集家
やばいなあ、と思う。何がって、コレクションですよ、これがねえ……
よく商品などになんとかコレクションと銘打ったのがあって、こんなもののどこがコレクションなんだよ、といぶかっていたものだが、じつはあれにはちょっとした拡販的タクティクスが込められていたのだった。
前にも書いたと思うけど、コレクションは複数のものを集めてはじめて成り立つ。どんなにすぐれたものでも、一個だけ所有しているのではそれはコレクションとは呼ばれない。で、この複数性がやばいんですよ、なぜなら複数のものは増加することしかできないから。
ひとつあればまたひとつ欲しくなる、それが手に入ればもうひとつ、というふうに、コレクションは無限に増殖していく、しかしお金も時間も収納スペースもかぎられているから、それは有限という制約下に無限を追い求めるという不条理におちいらざるをえない。
シジフの神話かダナイードの樽か、とにかくコレクションには愉悦と苦悩とがないまぜになった二重構造があることだけは確かだ。
お金と時間はともかくとして、収納スペースを気にしなくていいコレクションというのがあればいいんだが、そんなものは観念(イデー)の蒐集以外にちょっと思い浮ばない。
あなたは観念の蒐集家というものを考えることができますか?