「詩王」といえば


大正時代にそんな題の詩の雑誌(同人誌?)があったらしい。その同人の一人に矢野目源一がいて、処女詩集「光の処女」を出した。これは古書業界ではつねに高価で売買されるもののひとつだが、内容はそんなに大したことはなくて、どっちかというとしょぼい詩が並んでいるだけのもの。しかし、彼の詩はともかくとして、この本には(少なくとも私には)けっして軽々に扱えないセクションがある。それは最後に収められたマラルメの「牧神の午後」の翻訳だ。

ここでの訳者の悪戦苦闘ぶり、それを眺めるためだけでもこの詩集を覗く価値はある。おそらく矢野目はこの翻訳にこりて、もう二度とマラルメの翻訳なんかするもんか、と思ったに違いない。もっと気楽に、自分の趣味にあったものだけ訳そう、そう決心したのではなかったかと思われる。

しかし矢野目の後を襲って、いわば弔い合戦のつもりでマラルメとの格闘を引き受けた奇特な人がいる。鈴木信太郎がそれだ。信太郎さんの「半獣神の午後」がいかに矢野目訳を換骨奪胎し、パクるべきところはパクり、捨てるべきところは捨てているか、そういう部分にポイントをおいて読んでみるのもおもしろいかもしれない。

そういえば自分でも信太郎さんの解釈を参考にしながらこの詩を散文に訳してみたことがあったっけ、と思って前の記事を見てみたら、とてもじゃないが通読できない恥ずかしさだ。もうこれは手を入れるどころではない、見なかったことにして過去ログの底に埋没させておくのが吉だと思った。

ああそうだ、誤解されそうなので急いで付け加えておくが、矢野目訳はダメだといってるんじゃありませんよ、初訳でいきなりここまでの水準のものを出したというのは驚くべきことです。