ある訣別の辞


かつて熱中したことどもがもはや何の感興も喚ばなくなっている。あんなに好きだったあれやこれやがひどくつまらない無価値なものにみえてくる。それが老化というものなのかもしれない。

それならそれでいい、かつて私の愛したものたちよ、さらば。私は私の道をゆく。

若いころの愛の対象にしがみついて、その落穂拾いをやることには飽き飽きしてしまった。人生の秋(収穫の時期!)を落穂拾いに費やすなんて、あまりにも情けないではないか。

既知のうちに未知を見出し、未知のなかに既知を探ること、そしてそれを大いなる感興のうちに行うこと、それ以外に自分の生きる道はない。

私は変る、変らないために*1

*1:cf.「私は死ぬ、死なないために」(聖テレサ

現代詩について思うこと


思潮社から二冊本で出ている「戦後名詩選」は非常によくできたアンソロジーで、ここまでコンパクトなかたちで戦後詩(ほぼ現代詩と同義)を圧縮してみせることは容易なことではない。その点に関しては編者(野村喜和夫城戸朱理)の努力をたたえたいと思うが、さてこの詩集をあちこち拾い読みしながら感じるのは、現代日本語で詩を書くことの困難さである。ここで詩というのは「言語による芸術」のことだ。

個々の詩人の主張が、芸術くそくらえでも、反芸術でもかまわないが、できあがった作品そのものは広義の「芸術」であってほしい、と思う。そうでなければ、それらをあえて「詩」と呼ぶ必要はないだろう。

他の芸術、たとえば音楽なら、同じ曲をなんべん聴いても飽きないし、そのつど新しい発見や感興がある。それはなぜかといえば、音楽が(たいていの場合)ポリフォニックにできているからだと思う。

それに対して現代の口語による詩は、その言葉の本質的なモノフォニー(モノセミーといってもいい)のために、どうしても単調になる。いっぺん読んだらわかったような気になってしまい(そんな気になるだけかもしれないが)、なんべんも反復しようという熱意がわいてこないのである。

いっぺん読んで読み捨てられるようなものを私は言語芸術とは認めたくない。読み手のなかでポエジーが無限に増幅するようなもの、期待の地平においてであれその増幅をそのつど楽しめるようなもの、そういうものでないと詩として認めたくない、そういう気持がある。

現代日本語、これはふつうに使用していては芸術のマチエールとはなりえないものである。

ならばどうすればいいか。言葉にアクロバットを演じさせるしかない。通常の使用を超えたところで言葉を使うこと、それしかない。しかし現代日本語にアクロバットを演じさせるのは、そのへんを歩いているふつうの人を連れてきて、なにか芸をやらせるのと同じような危なっかしさがある。いかに奇抜な芸を披露しても、やっているのが「ただの人(=現代の口語)」なのだから、しょせんは素人芸の域を脱しない。

そんなこんなで、現代日本語で詩を書くことの絶望的な困難さのみがつよく印象づけられる本だった。

ヘレン・ケラーとスウェーデンボリとストリンドベリ


名画として知られる「奇跡の人」を見たが、どうも感想を書くだけの気力が出ない。ただ一言だけ言っておこう、これは名画ではない。「奇跡の人」の原題が The Miracle Worker で、つまりサリバン先生のことを指しているというトリビア(まさにトリビア!)だけが収穫だった。

この映画とくらべたら、youtubeにあるドキュメンタリーのほうがずっといい。一時間近いが見る価値はあると思う。

さて、このビデオのなかで、ヘレン・ケラースウェーデンボリについて語っている。スウェーデンボリ、この近代オカルト界(?)の巨人のことは前々から気になりながら、どういうわけかいままで読む機会がなかった。しかし、ブレイク(「天国と地獄の結婚」)やベーメ(「黎明」)のあとでは、当然のようにスウェーデンボリも読む必要がある。それほど大きな存在なのである。

ストリンドベリスウェーデンボリの著書を読むことで「地獄」時代を脱したというのは有名な話だが、彼はあれほど博識でありながら、この時期までスウェーデンボリをまったく知らなかったらしい。おそらく名前だけ聞いて「ふふん」と思っていたのだろう。その点では私もまったく同様だ、スウェーデンボリ? あのオカルトの巨人ね、宇宙人や天使と話をしたという、云々。

ストリンドベリは叔母さんからスウェーデンボリの独訳選集を借りた。私はヘレン・ケラーに(間接的に)すすめられて鈴木貞太郎の訳本を手に取った、という次第。

ちなみにこの本(「天界と地獄」)はほとんどが天界と精霊界との記述に費やされていて、地獄界についてはほんの数十ページの記述しかない。ストリンドベリスウェーデンボリの地獄描写のなかに自分の体験そのものを見出して驚いたらしいが、いったいどういう部分に彼は感動したのだろうか、そんなことも気にしながら読んでみたい。

ユベール・ジュアン「フェルナン・クノップフとその時代の文学」


この前読んだプラーツの「ムネモシュネ」と同じようなテーマを扱った論稿。1980年にブリュッセルで行われたクノップフの回顧展の際の講演記録らしい。そういうものだから、突っ込んだ議論を期待しても仕方ないが、しかし薄っぺらいなりに私には教えられるところが少なくなかった。以下、ざっと紹介してクノップフ愛好家諸氏のご笑覧に供することにしよう。


* * *


同時代現象としての文学と美術との関係。

私見によれば、フェルナン・クノップフの活躍した時代は、まずルイ・フォレスチエが、ついで私が提唱した「前=世紀」なるものに属している。前=世紀とは、早くいえば世紀転換期、ある世紀から次の世紀へいたる間の、いわば宙吊りになった時代のことである。

この時期、絵画の領域でもさまざまな流派が拮抗対立しながら雁行していた。裸体画の場合なら、たとえばブーグローとドガ。「子供にも見せられる」無害なブーグローの裸体に対して、ドガのそれは「売春宿に置かれるべき」猥褻なしろものである。ユイスマンスいわく、文明化された自然においては、裸体の女などというものは存在しない、あるのはただ衣服を脱がされた女だけである、と。しかしクノップフの裸体はこのいずれにも該当しない。ここに第三の項として「イデアの絵画(peinture d'idées)」、すなわち「象徴主義」が立ち現れる。

クノップフの認める象徴主義の唯一の体現者、それはマラルメである。「詩とはいくつかの単語から作った呪文のような、国語の中にそれまで存在しなかった新しい一つの語である。すでに存在する語は……偶然性を含んでいるものだが、詩はその偶然性を力強い一息で否定する」(「詩の危機」)。

ローム街の客間に文学的選良を集めて、大文字の「書物」なる概念を開陳するマラルメ。彼のソネットクノップフの興味を惹いたのは、それらが複数の「読み」を要求・許容するからだ。ひとはマラルメの詩を──それがどんなに短い詩であろうと──「読み終える」ことができない。もしくは読み終えたと思ったとたんに別の「読み」へと誘い出され、はては「読み」の輻輳に巻き込まれるのである。ここにおいてクノップフマラルメとを結びつけるものが明らかになる、それを一言でいえば、「意味の多様性(polysémie)」ということになるだろう。

芸術のふたつのあり方。ひとつは読者や観客を既成の大衆とみなし、彼らの嗜好に応ずるものを提供しようとする方法。これを当時の用語法にならってモードと呼ぶことにしよう。もうひとつは読者や観客を必要としつつも、それらを仮定的・不可視的・無規定的なものとして捉えようとする立場。

自作が何を表現しようとしているのか訊かれたときのクノップフの答。──その場に居合せた人々の証言によれば、彼は自分の絵の意義に関して正当に言いうることは「すべて」言ってのけたが、それでもなお言い逃したもの、自分にとっても未知なるものがこれらの絵にあることを認めた。作者であってもその作品の「すべて」を言いつくすことはできない。同じくイデアの画家であるピュヴィ・ド・シャヴァンヌへのマラルメのオマージュを参照。

さて、旧来の画家を一言でいえば、それは寓意(アレゴリー)の画家ということになる。ボードレールの「万物照応」に即していうなら、彼らにとって個々の「照応」は堅固で安定したものである。そして彼らはそれを万象にあてはめる。「公正」は目隠しをして秤をもった女神の姿であらわされ、「運命」ならば回転する車輪、「懲罰」ならば剣といった具合に。万象は不易の精神的宇宙のうちに固着され、定義される。いっぽう「象徴」はその対極にある。それはいかなる固着も定義も認めない、無限定のなにものかである。象徴化された「女」は未知のものに由来する、彼女は謎であり、スフィンクスである。そしてスフィンクスの本領は答えることではない、問うことである。

この間の事情を示す例としてシャルル・ヴァン・レルベルグの「仄かなる幻」という詩*1

「仄かなる幻」というキーワード。これはロラン・バルトが「意味のゆらぎ」と名づけたものに対応する。

ひとつのエピソード。ある日画家のドガマラルメに「ソネットのアイデアはいっぱいあるんだが、ひとつとして書けやしない」とこぼしたところ、マラルメは「ソネットはアイデアで作るんじゃない、言葉で作るんだ」と答えた。「意味」の問題のすべてがここにある。クノップフの問題性のすべてがここにある。

紋切型のアイデアをしいて厳密な形象にもたらすか、もしくは言葉や形式によってイデアを解放するか。観念聯合か、もしくは観念離散(レミ・ド・グールモンの用語)か。

クノップフの偏愛する詩人がマラルメだとすれば、彼の導師はペラダンであり、同志はマーテルリンクとル・ロワである。

寓意と象徴との差異について。

ロラン・バルトによれば、象徴は「ゆらぎ」の概念を導出する、つまり──象徴は解釈の多様性を許すと同時に、読者や観客の「来るべき」決定不能性をも意味する。なにごとかが生起しなければならない、けれどもこの場合の「生起」というのは、生起すべきものの不確実性それ自体なのである。クノップフの作品を鑑賞する人は、ひとつの歴史へ、歴史の展開へと導かれるが、その鍵を握っているのはその人自身である。そこでクノップフが問いかけているのは、現に何が起っているかではなくて、次に何が生起してくるかなのだ。一言でいえば、「語られざるもの」を語ること、ここにおいて「見る人(voyeur)」クノップフは「幻視する人(voyant)」になる。

ヴァン・レルベルグの詩「ソリアーヌ」

狭義の象徴主義を一言でいえば「<意味>の多義的な解釈学」ということになるだろう。<意味>は「観念」の外部に作られる。そのアプローチは閉鎖的ではなくて開放的である。それは読者や観客の注文に応えるものではない。何物かが現われ、問いかける。クノップフの絵は何かに対する答えではなく、問いかけなのだ。象徴とは、いま、ここにないものに対する要求・呼びかけなのである。

ヴァン・レルベルグのもう一つの詩の引用。

それでは詩や絵における<意味>とは何か。……(明確な回答なし)

いずれにせよここで問題となるのは、観念の多様性に、それにふさわしい領野を与えること、すなわち観念に無限の形式を付与することである。

当時のワーグナー熱について。エドワール・デュジャルダンの「ワーグナー評論」誌。ワーグナーの死と入れ替わるように現れたのがサール・ジョゼファン・ペラダン。総合芸術としてのワーグナーの楽劇とマラルメの「書物」との対比。劇場としての「都市」と遊歩者のまなざし。クノップフはこれらの企図に魅了された。

書物装丁家としてのクノップフと舞台衣装・装飾家としてのクノップフ。それは「書物」ならびに「劇場」におけるマラルメ的・ワーグナー的な総合性と無関係ではない。この総合性に対する嗜好のあらわれのひとつとして、彼の家(現存せず)があげられる。彼の家はマラルメの「書物」であり、ペラダン越しに見られたワーグナーの舞台である。それは象徴主義の殿堂であり、寓意(アレゴリー)とは対極をなすものである。

ここにおいてクノップフメーテルランクとの親近性があらわになる。

メーテルランクの詩の引用。

クノップフとペラダンとの関係。ペラダンは熱烈なカトリックで、スタニスラス・ド・ガイタによって刷新された薔薇十字会に見切りをつけ、みずからもう一つの薔薇十字会を創設し、イデアの画家たちの作品を展示する展覧会をひらく。

ペラダンはクノップフの絵の中に、美術に再導入された理想主義(イデア主義)の典型を見出した。彼はレオナルド・ダ・ヴィンチを崇拝するとともに、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの詩集に序文を書いている。しかし彼のラファエル前派に対する姿勢はやや微妙。それに対してクノップフはほぼ全面的にこの英国の運動を支持し、1889年にパリで開かれた展覧会に出品されたバーン=ジョーンズの絵について、「芸術家の夢が現実になった、そして悪夢と化したのは荒々しい粗野な現実のほうだった」と述べている。ペラダンは「いかにして方士になるか」と「いかにして妖精になるか」を書いて、これらイデアの画家たちにある種のイデオロギーを提供した。

メーテルランクの「温室」より一篇を引用。

ペラダンの影響としてもう一つ、アンドロギュノスの主題がある。この主題は「前=世紀」にもてはやされたが、今日にいたるまで、これに関する突っ込んだ研究はなされていない。しかしマラルメの「エロディヤード」からワイルドの「サロメ」まで、ギュスターヴ・モローの諸作からクノップフの提起まで、この主題は連綿として「前=世紀」を貫いている。

ペラダンはそのエポペ「ラテンの頽廃」の第十巻をこの主題にあてた。しかし「至高の悪徳」にしろ「好奇心の強い女」にしろ、アンドロギュノスの主題はいたるところに見え隠れしている。

ペラダンの「アンドロギュノス」に含まれる讃歌の引用。

アンドロギュノスこそは、意味の複数性であり、イデアを追求する芸術家に格好のテーマであり、ロラン・バルトのいわゆる「ゆらぎ」であり、クノップフが自作の説明にあたって言いよどんだ「未知なるもの」である。しかしこの主題を実際の形象に結実させるものが現実の偏倚ではないと誰に断言できよう。

クノップフと写真術との関係。

これは世紀末、いな前=世紀特有のいかがわしさの中で捉えられるべきである。ピエール・ルイスのヌード撮影、マラルメのヌード写真のコレクションなど。観念と肉体、象徴と身体(とくに女性の)、文化という煮られたものと性欲という生のものとの狡猾な結びつきを吟味すること。しかしそれだけでは凡庸さに対する反抗や、スフィンクスの性質に対して投げかけられた問いなどを説明するには不十分である。

ジャン・ロランはいみじくも「世紀末(fin de siècle)」は「性器末(fin de sexe)」の謂であると喝破した。この時代の文学はすぐれて「独身者の文学」であり、そこで問題になるのは大文字の集合名詞の「女」であって、小文字で複数形におかれた「女たち」とはどこまでも無縁なのである。メーテルランクのもやもやと閉じられた温室の次にくるのは「さかしま」のデ・ゼッサントだが、彼のあり方は、クノップフや彼の家とはまさに「さかしま」、正反対である。

もう一つメーテルランクの詩の引用。

次にジョルジュ・ローデンバッハとの関係について。両者の共通点。死んだ街、白の世界、静謐など。彼らの美学の特徴をなすものとして、描き出す対象との間の距離ということがある。それらの対象はあたかも水鏡を透かして見るように、透明な、手の届かない厚みによって表現者から遠ざけられている。彼らの妄執は、たとえば召喚された女たちの同一性であり、否応なく破滅に導かれる都市の悲哀であり、取り戻しえないものに対する郷愁である。

こういった特色はベルギー象徴派に特有のものだ。ヴァン・レルベルグの「イヴの歌」におけるイヴの増殖を参照、また彼の「仄かなる幻」中の詩──

クノップフはつねに同じ女を描いた。当初から彼の偏愛するモデルは妹だったが、のちに赤毛の英国女性を使うようになる。当時のブリュッセルでは、赤毛の英国の少女がその両性具有的な美を愛でられた。象徴派における女性のイデア化とアンドロギュノス的要素との結合。

ギュスターヴ・モローとラファエル前派とに代表されるこのタイプの女性像を文学の面に求めるならば、ロバート・ブラウニングの詩的乾坤をあげることができる。

当時の人々が「象徴」という言葉について抱いていた概念──メーテルランクのユレに対する回答によれば、象徴とは「寓意の正反対で、ことさらに作り上げるものではなく、作者の意識をまたず自発的に浮んでくるもの」の謂である。この意見はアルベール・モッケルの理論とも符合する。この「自発性」はのちのシュルレアリストたちの「自動筆記」とは明確に別物であることに注意。

ローデンバッハはどちらかというとシュルレアリストに近い。たとえば次にあげる詩など。

クノップフの絵においては現実と夢想とは分離せず、たがいに協力しながら機能している。最後に彼の言葉を引いておこう。

「夢は欺瞞だと人はいう、けれども最後の時がやってきて、もはや眼前に舌なめずりしながら待つ影と、おのが過去の漠然たる光しか見えなくなったとき、いったいどうしてこの二つのものをなおも分離しようとするだろうか、おお、体験の思い出よ、夢に見た蜃気楼よ……」

「フェリーニのローマ」


この前アマゾンで「サテリコン」を買ったら、さっそくメールで「おすすめ」がきた。やはり1000円を切る廉価版なので遅疑なく購入、鑑賞。

ここに描かれたローマはまさに現代のバビロンである。「大いなるバビロンは倒れたり」──しかしローマは倒れても何度もよみがえる。その繰り返しの結果、街の半分が廃墟というとんでもない都会が現出した。映画の最後にペシミストの作家が出てきて、「世界の終りをローマで眺めたい」といっているが、気持はわかる、やはりローマは世界の臍だ。

しかしこれはたまらない映画、最初から最後までにやにや笑いがとまらない。よくもまあこんな人をくった映画を……これは「サテリコン」と同じスタッフで撮ったものらしいが、たしかにあの脂ぎったマチエール(?)には共通するものがある。汗と油で汚れたシャツを投げつけられるような変な快感があって、こういうのを見て喜んでいる人はたぶんマゾ気質の持主なんだと思う。

登場人物の一人が、「下水渠こそはローマの象徴ですよ」という。それでふとマラルメの詩句を思い出した。「地下に埋もれた神殿が、墓穴のような下水渠から汚泥とルビーを涎のように漏らしながら、火と燃える口に獰猛な唸り声を発するアヌビスの偶像のようなものを厭らしく吐き出している」というもの。アヌビスの偶像は出てこないが、似たようなものは随所に顔を出す。

最後に、地下鉄を作るための掘削機(?)がどう見てもファリック・シンボリズムなのには笑ってしまった。この機械、ぶきみに頭をもたげて壁をぶっこ抜き、その向う側にあった古代遺跡を台無しにしてしまう。石原慎太郎に見せたら大喜びしそうなシーンだと思った。

「時よとまれ、君は美しい〜ミュンヘンの17日」


原題は Visions of Eight(八人の映像)。これのサウンドトラックが気に入っていたので、映画も見ることにした。

DVDのパッケージに「肉眼では捉えられない映像」とあるとおり、カメラの記録性をフルに生かしたドキュメンタリー。しかしそんなことよりも、この17日間をひとつの祝祭として捉え、その高揚感とともに寂寥感(祭はいつか終るものだから)をも描き出しているところがすばらしい。あのころのことを知っている人も知らない人も、これを見ればノスタルジーを刺戟されて胸が痛くなるだろう。ここにはまさにヒューマニティ*1の讃歌がある。

それにしても、もしヘンリー・マンシーニの音楽がなかったら、ここまでヴィヴィッドな映画になっていただろうか。結果論かもしれないが、彼の音楽はこの映画に絶妙な効果を与えていると思う。

この映画のハイライト、「美しき群像」がyoutubeにあがっているので紹介しておく。

*1:これを人間性と訳しては台無しである。ヒューマニティはいまだに日本には根づいていない概念のひとつだ