痔のアンソロジー


ここ数日肛門の具合がわるくて、幸い坐薬を入れたらよくなったが、しかしお尻がこういう状態になったのはこれが初めてではない、もうだいぶ前からいわゆる痔ケツになってしまっているようなのだ、情けないことに……

まあ一病息災という言葉もあるくらいだから、それほど憂慮すべきことでもないとは思うが(本格的にわるくならないかぎりは)。

ところで、この痔というやつ、詩文の領域ではどういう扱いなのだろうか。古来痔を歌った詩や歌はあるのだろうか。管見の及ぶかぎりでは、正面切って痔をテーマにした作品にはお目にかかったことがない。たしかに、肺病や奇病ならともかく、「痔を詠ず」では風流にも何もなりようがない。

しかし、記憶をたどってみると、痔にふれた詩文が絶無というわけではなさそうだ。いくつか心当りのあるものもある。未来の「痔のアンソロジー」のために、思い出せるかぎり列挙してみよう。

  • まず沐浴する女を歌ったランボーソネットがある。風呂からあがって身体を拭いている女の尻にいぼ痔がみえるという詩。
  • 芥川竜之介の手紙に、「痔の痛みなんて分りませんね──岩山に赤い旗の立っているような痛みだ」というのがあった。彼はまたアナキスト俳人の句を紹介しながら、「あの霜が刺さっているか痔の病」というのをあげている。
  • 夏目漱石の「それから」だったと思うが、主人公が痔の手術を受ける描写があって、読む者をして慄然たらしめるとのこと。
  • ハイネの遺言詩に、「底意地わるいプロシャもどきのこの痔疾」なる句がある。
  • ラブレーに、グラングージエガルガメルがガルガンチュワを生むときひどい脱肛を起す記述あり。
  • フランスの罵り文句に、「おまえなんぞ尻の穴が脱けちまえ」というのがある由。
  • 南方熊楠の文章に、風呂に入っている爺さんの尻から直腸が飛び出している描写あり。
  • サドの「ソドム百二十日」の語り手の老婆の尻に大きな痔核がぶらさがっている記述あり。
  • シュオッブの「架空の伝記」の序文に、ルイ十四世の痔瘻への言及あり。


このくらいしか思い出せないが、ほかにもこんなのがあるよ! というのがあれば、ぜひご教示を賜りたいものだと思う、未来の「痔のアンソロジー」のために。