イグナチオ・デ・ロヨラ「ある巡礼者の物語」

sbiaco2008-10-08



副題に「イグナチオ・デ・ロヨラ自叙伝」とあるとおり、イグナチオが晩年に書いた、というか口述筆記させた自伝(門脇佳吉訳、岩波文庫)。語り口はひどく朴訥然としたもので、たぶん訳者による註解なしにはおもしろく読まれないだろう。その意味で訳者の貢献は大きいのだが、ちょっと贔屓の引き倒しに類する面もある。

たとえば訳者は回心前のイグナチオについて、「武術の人であるよりは宮廷の人」と規定している。しかし、ほんとうにそうだろうか。イグナチオはどう見ても、宮廷人(すなわち廷臣)なんていう軽薄(わるい意味ではない)な部類に属する人間ではない。彼の創案にかかる「霊操」は原語ではejercicios espiritualesといい、このエヘルシシオはもともとは「武術の修練」のことをさすらしい。この修練というか鍛錬を精神面に適用したのが「霊操」なので、これは精神的なディシプリンという側面ももっている。彼は困難に出会っても、それをけっして回避したりはしない。ゆくところ、正面突破あるのみ。彼にとっては、逃げるが勝ちとか、誘惑に勝つには誘惑に負けるのがいちばんだとか、「がんばりません」とか、そんなふやけた言辞はいっさい存在しない。なにしろこの人は戦乱のただなかを徒歩で通行し、看過できない不正に対しては容赦なく(つまり身の危険をかえりみず)大喝一声をくらわせる。彼を軍人気質の人と規定するゆえんだ。

もうひとつのイグナチオの特色は、ことに処するにあたって、ひどく老獪というか狡猾な面があること。たとえばパリでサビエルに出会って、こいつは同志にするにたる人物だと判断すると、彼の気を引くためにはあらゆる努力を惜しまない。サビエルが若くして博士になり、生徒を教えるようになると、イグナチオは彼のために聴講生を獲得してやるという、ほとんど幇間まがいのことまでしている。そうやって徐々にサビエルの心をとらえていったわけだ。

この軍人気質と狡猾という属性は、おそらく彼の創始したイエズス会にそのまま引き継がれたのではないかと思う。いいかえれば、イエズス会をその本質において考えるためには、このイグナチオの自伝を読んでおく必要がある。

ところで、この自伝には彼の回心前のことについてはごく簡単にしか触れられていない。三十歳で大怪我をする前のことは、「かれは二十六歳まで、この世の虚栄を追求する人間だった。特に名誉を獲得しようとの空しい欲望に激しくかられ、武術の修行に喜んで励んでいた」と、たった二行ですませている。これは私には非常に不満で、それというのも、人間精神の形成には二十歳までの履歴が非常に重要だと思うからだ。イグナチオはいったいどんな少年時代を送ったのか。私が知りたいのはむしろそっちのほうなんだが。……