ミシュレ「魔女」下巻

sbiaco2006-08-09



上巻の感想でミシュレのことをロマネスクと書いたが、下巻にいたってその傾向はますます強まる。下巻(正確には「第二の書」)の半分ちかくを占めているのは、1730年前後にツーロンで起こったカディエール事件だ。これはもうほとんどミシュレ版「罪と罰」といってもいい。ジラール神父にはスヴィドリガイロフが、カディエールはソーニャが二重写しになってみえる。

それにしても、18世紀にもなるとイエズス会は落ちるところまで落ちた観がある。上層部は世俗の権力と結びついて勢力の伸張をはかり、下層部はといえば宗教改革以前に復古したかのように下等な快楽をむさぼる。そこらじゅう破戒僧だらけなので、もうだれも僧侶の貞節なんか問題にもしない。彼らの関心事は、ほとんどもっぱら「悪魔を地獄へ追い落とす」ことだけだ。ロヨラもサビエルもまさかこんなことになるとは思ってもいなかっただろう。

下巻ではカディエール事件以外にも、ゴーフリディ事件、ユルバン・グランディエ事件、マドレーヌ・バヴァン事件など有名な魔女事件が扱われているが、どうもあまり読みやすいものではない。これは記述のベクトルが一定の方向をむいていないためだろう。因果関係をたどるだけでも骨が折れる。といっても、こういった事件はミシュレ以降、個別の研究の対象にもなっているようだし、その雰囲気は映画や小説でおなじみのものだから、あまり神経質になって読む必要もないとは思うが。

この本は、全体的にみると、恐怖から憐憫への人間の歩みを示したものだといってもいいと思う。それを徹頭徹尾、民衆の、女性の歴史として描き出したところにミシュレの真面目がある。巻末のエピローグは、そのまま「ツァラトゥストラ」の冒頭に直結するだろう。ミシュレはここではほとんど預言者のように語っている。