聖テレジア「完徳の道」


なんとか適価にて購入(カルメル会訳、岩波文庫)。

さて、いきなり話は脱線するようだが、ちょっと前の日記に、日本人選手の弱点はリズムにあるんじゃないか、と書いた。もしこれがあたっているならば、日本チームは(残念ながら)どうがんばってみても世界の一流にはなれない。というのも、リズムの根本は言葉にあるので、日本語をしゃべっているかぎり、そのリズム感はけっして変わるものではないからだ。山本七平の名言をもじっていえば、日本語ではサッカーはできないのである。

このことからしても、努力すれば夢はかならずかなう式の言説が何の根拠もない寝言であることは明らかだろう。とはいうものの、いまなお多くのひとがこの手の説を飽きもせずに繰り返している。なぜだろうか。そこに真理の一半があるからだと思う。

その真理というのは、努力しなければかなうはずの夢もかなわない、ということだ。聖テレジアが口をすっぱくしていっているのもこのことにほかならない。努力すること、継続すること、けっして諦めないこと、それ以外に完徳(完全、完成)の道はない。たとえそれが期待どおりの結果に終わらなくても……

もちろん、こんなことはわかりきった話で、いまさららしくいわれるまでもない。しかし、テレジアの言葉には、彼女自身が生涯をかけてきた信念の重みがある。しかも彼女のことばにはどこにも押し付けがましいところや居丈高なところはない。どこまでも女性らしいつつましさと温かい血の脈動が感じられる。この本の価値は、そういうテレジアそのひとの魂とじかに向き合えることにあるのではないか。

巻末の解説には、テレジアの生涯の概略がのっていて、これが非常におもしろい。彼女ほどの人でも回心の契機というものはあった。それは十代の半ばにわずらった大病である。そういえば、フランチェスコもイグナチオも重病や大怪我をきっかけとして信仰の道に入っている。

やはりそういうことでもないかぎり、ひとはなかなか宗教などに真剣に取り組む気にはならないのかもしれない。