「ポオ全詩集」


晩年のフーゴー・シュタイナー=プラークが挿絵を描いた本がとどく。出版社はニューヨークのヘリテージ・プレスというところ。この本はネット古書ではよくみかける。1943年刊行というから第二次大戦のまっただなかに出たものだ。そのわりには用紙にはシミひとつないし、背の黄ばみをのぞいては、新刊書とほとんど変らない保存状態のよさだ。前の所有者が大切にしていたためだろうか。

シュタイナー=プラークはこの本のために16枚の挿絵を描いている。ここではおおむね初期の詩篇が選ばれている。というのも、彼はやはり風景や自然を描くのがうまいので、そういう自分の資質にあった詩を(たとえそれが幻想的なものだとしても)意識的に選択しているといえそうだ。風景を歌った詩でなくても、たとえば有名な「ヘレンに寄せるうた」などでは、ランプをもった女性の姿ではなく、エーゲ海にうかぶ「ニケアの船」が描かれている。こういうところがおもしろい。

さて、ポオの詩だが、いままでほとんどまともに読んだことがない。いや、ポオだけではなくて、英詩というものにまるで親しんでいない。これは自分の怠惰と、ある種の偏見とがしからしめるところだろう。英語で詩を読むなんてめんどくさいし、なによりも英語そのものがあまり詩には向いていない言葉のような気がしていたのだ。英語は一にも二にも実用本位で、詩が要求する音の美しさとか、字づらの気品のようなものが欠けているのではないかという、これは完全な私の偏見だ。

しかし、せっかく詩集を買ったのだから、読まずに絵だけ見ているのではもったいない。そう思って、数日がかりでこの詩集を読んでみた。まだ全部は読みきっていないけれども、何度も読むうちにだんだん英詩とはこういうものかというのがわかりかけてきた。とくに初期のふたつの大作「タマレイン」と「アル・アーラーフ」は、私にとって英詩への絶好の手引きになった。というのも、これらは英詩の高峰へ攀じるためにどうしても乗り越えなければならない関門みたいなものだからだ。

ポオの詩については、いずれ全部読んでから感想など書いてみたい。