ツルゲーネフ「ハムレットとドン・キホーテ」


「プーシュキン論」と「ファウスト論」を併収(岩波文庫)。

訳は「ハムレット〜」を河野与一が、あとのふたつを柴田治三郎が担当している。ともに甲乙つけがたいみごとなもの。「ハムレット〜」と「プーシュキン論」は演説なので、講演口調で訳されているが、まるでツルゲーネフがそのまま日本語でしゃべっているような錯覚におちいる。

ツルゲーネフはおそらく明治の日本人にいちばん親しまれたロシア作家だろう。その理由がこのエッセイ集を読んでなんとなくわかった。というのも、ツルゲーネフは露魂洋才ともいうべき作家で、そのことがロシアと同じく遅れて西洋に学んだ当時の日本人にはとりわけ親近感をおぼえさせたのではないか。

論より証拠、彼の「プーシュキン論」を読んでいると、ここで論じられているプーシュキンが森鴎外にダブってみえてくる。ともに巨人的な事業をなしとげた近代文学の先覚者として。

ハムレットドン・キホーテ」は題名がすべてを物語っている。まあそういう論文なのだが、このなかで私が思わず笑ってしまったのはつぎのくだり。「ドン・キホーテはほとんど読み書きができません。ハムレットはたぶん日記をつけております」

ファウスト論」でおもしろいのは、ツルゲーネフが「第一部」だけ認めて、「第二部」のほうは失敗作と断じているところ。素朴詩人ゲーテを称揚すればそういうことになるのかもしれないが、私なんかには「第二部」のない「ファウスト」はちょっと考えられない。「第一部」が黒いロマン派なら、「第二部」は白いロマン派(古典主義的といってもいいが)だろう。両々あいまっての「ファウスト」なので、情感詩人ゲーテもまた魅力的ではないかと思う。