本の処分について


http://d.hatena.ne.jp/comc/20080612/1213261952

上の記事に触発されて書いてみたが、とくにcomcさんへのレスというわけではなく、ふだん自分が思っていることをだらだらと書いただけ。

本(に限らず身辺にたまったもの)の処分はむつかしいところがあって、思いきって処分したものの、数年後にそれが必要になる、ということはよくある。しかし、何があとになって必要になるかはそのときになってみないとわからないので、現時点で不要と思われるものは処分するほかないだろう。でないと、なにひとつ捨てられないことになる。

図書館その他を存分に活用できる環境にあるなら、よほどのもの以外は処分すればいいと思う。というのも、大蔵書家といわれるような人も、けっきょくは自宅を小さい図書館にしているようなものだからで、どんな人にとっても必要な本というのは意外に共通していて、こういうものは図書館の蔵書を利用するのが賢明だと思われる。自宅に置くのは、図書館では容易に見つからないような本、そうでなくても禁帯出になっているような本、つまり珍籍奇書のたぐいだけでいいのではないか*1

それに、骨折って万巻の書をあつめてみても、死ぬときにはそれらすべてを手放さなければならない。家じゅう本だらけでは遺族も処置に困るだろうから、死ぬまでに少しづつ減らすのはある意味で蔵書家の義務でもある。

それでもたいていの蔵書家は死ぬまで本を手放さない。そこで、名の通った蔵書家が死ぬと、オークションのカタログが作られることがある。故人の思い出の残る本がこうして散りぢりになるのを見るのは悲しいが、それが本というものの宿命だ。いっとき一箇所に集まっていたものが、ふたたび市場に出て、またべつな人の所有に帰し、そこでまたいっときの蔵書を形成する。本はそうやって循環を繰り返すのが望ましい。その過程でつまらないものや価値のないものは消滅していくだろう。

ところが、そうやって消滅していったものが、何十年後かにまた見なおされる場合がある。例をあげれば(本ではないが)浮世絵など。これも何が見なおされるかはそのときになってみないとわからない。もっともそのころには元の持主はとっくに亡くなっているだろうし、何が見なおされても死者の知ったことではない。自然淘汰にまかせるしかないだろう。

時間に余裕があれば、ネットオークションに出すのもひとつの手だ。古本屋の一括買取よりもずっと高く売れる場合があるからだ。まあ、写真をとったり、入金の確認や発送の準備もしなければならないので、めんどくさがり屋には向かないかもしれないが。

*1:いうまでもないが、古本屋が欲しがる本はこっちが処分したくない、こっちが処分したいものは古本屋が欲しがらない、というのが常態だ