高橋貞樹「被差別部落一千年史」


今年の正月に読み始めて、途中でつらくなって投げ出してしまった本(岩波文庫、1992年。初版は1924年刊)。どうしてつらくなったかといえば、これを読んでいると自分ではどうしようもないほど差別感情が刺激されてくるから。この本は差別撤廃の目的のもとに書かれたものだが、その差別の史的背景がこと細かに書かれているので、読んでいるとどうしても差別意識が研ぎ澄まされてくる。いままで気にもとめなかったことが、じつは差別の根底に厳として横たわっていたことが白日のもとにさらされる。そしてさらにいけないことには、この差別意識が今度は自分に反省的に返ってくる。つまり、自分の社会的なあり方に対する自己差別の感情がいやおうなく喚起されるのだ。これでは読んでいてつらくならないほうがおかしいだろう。差別撤廃ならぬ差別助長に寄与するような本。

一例をあげれば、私は子供のころ川田という苗字がなぜか好きになれなかった。べつにそういう名前のいやなやつがいたわけではない。ただ「カワタ」という音の響きがなんともいえず気持のわるいものに感じられた、というだけのこと*1

ところが、この本のなかで著者はエタの語源を考証しながらこう書いている。

「異説中の一つに、河原巻物に「河田」と解し、河のほとりに田を開いて耕作したので得た名であると解釈してある。エタの名を唱えずして、皮坊、皮屋、皮田などと呼ぶ地方は多い。ことに皮田は最も多く使われ、戦国時代に「川田」と呼ばれていた。この河田と言い、江田と言い、もとは皮革製造のため、河の辺に住んだのに起因したのではなかろうかとも言える。江田が穢多となり、河田が皮田となることは考えられるのである」

こういうのを読むと、なにか自分のなかにある無意識的なものがあばかれたようでぎょっとする。この本にはこういう無意識的な差別意識をあばくような記述が多い。

もっとも、そういった面はこの本の半面で、あとの反面はその現状を受け入れたうえでどのようにして差別撤廃をはかるかについて論じられている。これは当時の社会主義(ことに共産主義)や、広い意味でのサンディカリスムと連動した主張で、ひとことでいえば部落をして戦闘的コンミューンたらしめよ、ということになるだろう。それも散発的な一揆や暴動ではなく、あくまで方法的かつ集中的な反抗ののろしをあげよ、というのだから念が入っている。こういう姿勢がわざわいしてか、著者はのちに警察につかまって、獄中で短い一生を終えたらしい。

本書の内容に立ち入っている余裕はないけれども、ひとつ私の気になったことをあげておけば、ふつう「穢多、非人」といって、非人が最低のカーストであるかのように語られるが、じつは非人はいまでいう自由業についている人々の祖先ともいうべき存在で、周囲からは軽蔑されながらも比較的自由だったらしい。とにかく昔は土地をもっているということが非常に重視されたから、それをもっていない者が軽蔑されたのはふしぎではない。

しかるに一方の穢多はといえば、こちらは部落という土地に一生縛りつけられ、いわゆる賤業にたずさわることを決定的に強制されていた。その悲惨さたるや非人の比ではない。その穢多を非人の上に置いた、というところに徳川政府のいやらしいまでに狡猾な姿勢が見えるような気がする。

*1:この日記が「川田」さんの目にとまったら、もう「すみません」と平謝りするよりほかないが