エヴァ・メイ「真夜中に〜イタリア・サロン歌曲集」

sbiaco2007-10-10



三人のオペラ作曲家(ロッシーニベッリーニドニゼッティ)のサロン歌曲をあつめたCD(BMGビクター、1995年)。ピアノ伴奏はファビオ・ビディーニ。

これを聴いていると、自分にとって歌曲との蜜月は終った、と感じざるをえない。この分野においても、自分の好みはごく狭い限られた領域に落ちついてしまったかのようだ。新たに歌手や楽曲を開拓しようという熱意がすっかりさめてしまっている。今回はじめて聴いたエヴァ・メイも、うまいとは思うけれども、さて彼女のCDをつづけて買う気があるかといえば、否。ロッシーニほか二人の作曲家の他の歌曲に興味がひろがるかといえば、これまた否。

思うに、CDにしろ本にしろ、それだけ単体で存在するものではないだろう。それらは他の作品とのなんらかの関係のもとでしか生きられない何ものかではないだろうか。どんなにすぐれたものであっても、単独で存在している芸術なんてものはありえない。芸術の世界に一神教はない。そして、ある本やCDが生き生きした魅力をもっているということは、それがどれだけ多くの他のものへと「リンク」しているかに依るのではないだろうか、たとえそのリンクが「秘匿された」ものであったとしても。

ある作品を愛するとは、そういったリンクの網の目に自分もまた組み込まれることを意味する。少なくとも私にとっては、芸術との「共生」はそれ以外にありえない。そういう観点からすると、今回聴いたこのCDは、外部の、いや自分の内部においてすら、いかなるものともリンクしないような作品だ。そして、そういうことが不可能になっていることがすなわち冒頭に書いた「歌曲との蜜月の終り」なんだろうと思う。

というのも、もし自分が歌曲に対して積極的な関心をもちつづけていたとしたら、このCDもいろんなものと自発的に結びついていくはずだからだ。それは自発的というより自動的といったほうがいいかもしれない。そういうオートマティズムは、生の根源的な衝動から発するものだ。そしてこの衝動は、どうやっても意識的に発動させるわけにはいかない。

というわけで、この方面(歌曲)の探索はこのあたりでいったん打ち切ろうと思う。聴きたいという欲求が衝動にまで高まらないことには、なにを聴いてもその真髄には到達できないのだから。そしてこのような状況で起るいかなる出会いも不毛なものでしかないのだから。

まったく感想にも紹介にもなっていないが、いまはこれだけしか書けない。