無断転載のこと
無断リンクのことはよくわからないが、私がときどきふしぎに思うのが「無断転載禁止」というやつ。ウェブ上にいったん公開したものを他人がどう使おうがかまわない気がするのだが、作者はよほどそのコンテンツに愛着があるのだろうか。それとも自分が心血をそそいでつくったものを勝手にひとに使われるのは我慢がならない、ということか。
いや、たぶんそんなけちくさい話ではなくて、むしろ著作権が問題なのだろう。しかし、それにしても、と思う。ウェブ上のものは基本的にただで読める。ということは、いくらがんばって書いてアップしても一文にもならないということだ。金のからまないところで発生する著作権というのもあいまいなものだという気がする。
それにもうひとつ、ウェブ上の著作はたいてい実名を出して書かれていない。つまりそれだけだれが書いたかということは問題にされにくいわけだ。どこのだれが書いたかわからないものに著作権もへったくれもあるか、という意識は多かれ少なかれみんなもっているのではないか。
著作権といえば、戦前の日本の翻訳権はむちゃくちゃで、原著者や出版者にはまったくことわりを入れずに本を訳して出版することもしばしば行われていたようだ。これはもう海賊版みたいなもので、れっきとした犯罪なのだが、当時の日本人は「こちらで本を出版してその著書を広めてやったのだから、著者はむしろわれわれに感謝すべきだ」というふうに思っていたらしい。
盗っ人猛々しいとはこのことだが、しかし翻って考えてみれば、盗まれるということはたしかにそれだけの価値があるということでもある。価値なきものなどだれも盗もうとはしないだろう。そう思えば、むかしの日本人の心性にも一理あるといえそうだ。そして、そういう心性がいまでもどこかに残っていて、それが「無断リンク禁止」「無断転載禁止」問題の底にわだかまっているのではないだろうか。
さて自分の日記のことを考えてみると、無断転載されて困るような記事はないけれども、ただマラルメその他の翻訳だけは、これをだれかの翻訳書に使われたらいやだな、とは思う。ただしそれもあくまでも翻訳書として出版されたらいやだ、というだけのことで、ウェブ上でなら無断でどう使われようがいっこうにかまわない。金さえからまなければ、私はたいていのことには鷹揚なのだ。