百夜百冊
某HPで松岡正剛氏の「千夜千冊」が話題になっていたので、ちょっとのぞいてみた。目次をみると、読んだことのある本やもっている本が散見する。拾い出してみると、次のようになった。
カミュ「異邦人」
ヴァレリー「テスト氏」
バルトルシャイティス「幻想の中世」
紀貫之「土佐日記」
イェイツ「鷹の井戸」
ロープシン「蒼ざめた馬」
ジャリ「超男性」
ワイルド「ドリアン・グレイの肖像」
鴨長明「方丈記」
リルケ「マルテの手記」
ロフティング「ドリトル先生アフリカゆき」
吉行淳之介「原色の町、驟雨」
ボルヘス「伝奇集」
カフカ「城」
メーテルランク「青い鳥」
メアリー・シェリー「フランケンシュタイン」
小川未明「赤いろうそくと人魚」
ミシュレ「ジャンヌ・ダルク」
夏目漱石「草枕」
マゾッホ「毛皮を着たヴィーナス」
江戸川乱歩「パノラマ島奇談」
シェイクスピア「リア王」
渡辺一夫「曲説フランス文学」
シュティフター「水晶」
マキアヴェリ「君主論」
トゥエイン「ハックルベリー・フィンの冒険」
ゴーゴリ「外套」
ルブラン「奇巌城」
ドイル「緋色の研究」
ノヴァーリス「青い花」
ブルトン「ナジャ」
樋口一葉「たけくらべ」
バタイユ「マダム・エドワルダ」
大手拓次「詩集」
スティヴンソン「ジキル博士とハイド氏」
ナボコフ「ロリータ」
ソフォクレス「オイディプス王」
萩原朔太郎「青猫」
ランボー「イリュミナシオン」
ゲバラ「ゲバラ日記」
二葉亭四迷「浮雲」
ロダンバック「死都ブリュージュ」
ペロー「長靴をはいた猫」
「荘子」
パスカル「パンセ」
植島啓司「男が女になる病気」
プイグ「蜘蛛女のキス」
ホイジンガ「ホモ・ルーデンス」
ボードレール「悪の華」
フローベール「ボヴァリー夫人」
アリストテレス「形而上学」
マルクス「経済学・哲学草稿」
プラトン「国家」
北畠親房「神皇正統記」
スウィフト「ガリヴァー旅行記」
石川淳「紫苑物語」
林、久野「思想のドラマトゥルギー」
スピノザ「エチカ」
ジュネ「泥棒日記」
プーシキン「スペードの女王、ベールキン物語」
中島敦「李陵、弟子、名人伝」
兼好「徒然草」
杉田玄白「蘭学事始」
ジード「狭き門」
陶淵明「全集」
ストーカー「吸血鬼ドラキュラ」
稲垣足穂「一千一秒物語」
ヴェルヌ「十五少年漂流記」
深沢七郎「楢山節考」
クロソフスキー「ロベルトは今夜」
夢野久作「ドグラ・マグラ」
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」
ディケンズ「デヴィッド・コパーフィールド」
ベンヤミン「パサージュ論」
ダンテ「神曲」
清少納言「枕草子」
ハイデガー「存在と時間」
泉鏡花「日本橋」
鈴木牧之「北越雪譜」
つげ義春「ねじ式、紅い花」
ウィーダ「フランダースの犬」
芥川竜之介「侏儒の言葉」
プルースト「失われた時を求めて」
上田秋成「雨月物語」
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」
リラダン「未来のイヴ」
サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」
大岡昇平「野火」
マラルメ「骰子一擲」
渋沢竜彦「うつろ舟」
堀口大学「月下の一群」
梶井基次郎「檸檬」
幸田露伴「連環記」
「ヨブ記」
ユイスマンス「さかしま」
芭蕉「おくのほそ道」
ホメーロス「オデュッセイア」
久生十蘭「魔都」
ホッケ「迷宮としての世界」
ニーチェ「ツァラトゥストラ」
ちょうど百冊。つまり千冊のうち十分の一くらいは見当がつくわけだ。
しかし、こうして列挙してみると、自分のおりおりの関心のあり方の履歴がわかっておもしろい。これらの本は、一見雑然としているようだが、自分のなかではそれぞれ関連性をもってつながっている。それはときほぐしてみれば、意外に単純な一本の線に還元することができるものだ。みるひとがみれば一目瞭然だろう。それを思うとちょっと気恥ずかしい。
松岡氏の千冊も、還元すれば一本の線になってしまうのではないだろうか。