皆殺しの天使
ネットのニュースで「死に神」という表現を目にして、これはてっきり「死せる神」すなわち「神は死せり」というあれかと思ったら、なんのことはない「死神」のことだった。小学生の作文じゃあるまいし、天下の大新聞が「死に神」なんて表記をするとはねえ*1。
それはそれとして、「死神」よりもう少しましなたとえはないかと考えてみると、「皆殺しの天使」というのが思い浮んだ。これはキリスト教のほうで使われる言葉だが、その意味するところはといえば、じつはよくわからない。
とりあえず聖書でそられしいのが出ているのは次の箇所*2。
- 「出エジプト記」(12.23)
「そはエホバ、エジプトを撃ちに巡りたもうとき、鴨居と両つの柱に血のあるを見ばエホバその門を逾ぎ越し、殺滅者をして汝らの家に入りて撃たざらしめたもうべければなり」
- 「サムエル後書」(24.16)
「天の使、その手をエルサレムに伸べてこれを滅ぼさんとしたりしが、エホバこの害悪を悔いて、民を滅ぼす天使にいいたまいけるは、足れり、いま汝の手をとどめよと。時にエホバの使いはエブス人アラウナの禾場(うちば)の傍らにあり」
- 「列王紀略下」(19.35)
「その夜、エホバの使者出でてアッスリヤ人の陣営の者十八万五千人を撃ちころせり。朝早く起きいでて見るに皆死にて屍となりおる」
- 「ヨハネ黙示録」(19.17)
「我また一人の御使の太陽のなかに立てるを見たり。大声に呼ばわりて、中空に飛ぶすべての鳥にいう、「いざ神の大いなる宴席(ふるまい)に集いきたりて、王たちの肉、将校の肉、強き者の肉、馬とこれに乗る者との肉、すべての自主および奴隷、小なるものと大なるものの肉を食らえ」」
「黙示録」の一節はブニュエルの映画に霊感を与えた模様。
さてこの「皆殺しの天使」なる言葉だが、ひそかに思うに、あまりに峻厳にすぎて空気の読めない堅物、すなわち「人間嫌い」(モリエール)のアルセストみたいな人物を揶揄するのにも使われるのではないか。さらにいえばホイジンガのいわゆるスポイル・スポート、つまり「遊び破り」についても。
そいつがいるせいで場の雰囲気が白けたり、よどんでしまったりするような人物をさして、「あいつは皆殺しの天使だ」というように思うのだが、まちがっているだろうか。
まあ、いずれにしてもH山氏にはあまりふさわしくない呼び名のようだ。