丸谷才一「ロリータ」書評について

sbiaco2006-03-18



丸谷才一氏が「ロリータ」の新訳に書評を書いていることは人づてに聞いて知っていた。で、たまたまきのうの日記で「ロリータ」に言及したついでに、その書評をオンラインで読んでみた。新訳をもちあげるのはいいとして、旧訳をここまでけなす必要はあったのだろうか。それでは新潮文庫で読んだおれの立場はいったいどうなるのだ、といいたい。しかも、ただ読んだだけでなくて、ずいぶん感動もし感心もしたとあっては、ますます立つ瀬がない。

それにしても、「ロリータ」はいつから「単なるエロ本」であることをやめ、高級な(!)文学の仲間入りをしたのだろう。パロディやパスティッシュがあるから高級なのだろうか。そんなことはないだろう。それなら贋作や盗作すら高級なものになる。ネタ元がどんなに権威のありそうなものであっても、エロ本はしょせんエロ本なので、その生命とするところは肉(新訳では「腰」)をうずかせることにある。

丸谷氏はさらにこの小説を、たんに自分の好みからジョイス滑稽本に結びつけている。ジョイスはまあいいとして、滑稽本とはねえ……たしかに、どんなに深刻なものでも、理知的に眺めれば滑稽になる。笑いとはもっぱら理知にかかわるものだからだ。しかし、それだけのことなら、あえて新訳をもちあげずとも、旧訳でもじゅうぶんに味わうことができるのではないか。旧訳の、とくに第二部には、手馴れた翻訳家に特有の、たくまざるユーモラスな表現がそこかしこに見てとれる。

というわけで、とくに丸谷氏に反駁するつもりはないけれども、氏の書評を読んだだけでは、3000円も出して新訳を買おうという気にはなれなかった。とはいうものの、これから初めて「ロリータ」を読んでみようという人には、やはり新訳をすすめるしかないだろう。そこまで自分の趣味を押しとおすつもりはない。ただ、新訳の書評をするのに旧訳をここまでおとしめる必要があったのか、と思うばかりだ。

最後にひとこと。ナボコフの第一の功績は、やはりロリータにロリータという名前をつけたことだろう。このように命名することで、ナボコフは全世界のニンフェットを自分のものにしてしまったからだ。なんともうらやましい話ではないか。