ロレンス・スターン「トリストラム・シャンディ」


奇書といえば何番目かに必ず名前の出てくる本(朱牟田夏雄訳、岩波文庫)。それにしてもこれはとんでもない本だ。序盤が終ってようやく佳境に入りはじめた、まさにその部分で話が中断している。ただ、未完のくせにあまり未完らしくないのは、もし作者がこの先をつづけることができたとしても、脱線につぐ脱線で物語はあまり進展しそうもないからで、まあこの辺で終っておいてよかったのかな、とも思う。それでも私はあえてこういいたい、

天地創造の時このかた、かりにもこんな大事な場面で物語の腰を折った作家があったろうか?」

と。

さて、訳者もまえがきで述べているように、近代小説が確立したのはまずイギリスで、リチャードソンの「パミラ」や「クラリッサ・ハーロウ」、フィールディングの「ジョウゼフ・アンドルーズ」や「トム・ジョウンズ」などが黎明期における金字塔だとされている。「そしてそれらの僅か十年あまり後には、と訳者はいう、すでにこの型やぶりの奇作(本書のこと)が生まれはじめているという事実は、瞠目に値する」と。

しかし、近代小説の中で考えるから奇作なので、この手の作品としては私が知っているものだけでも古くは古代ローマの「サテュリコン」なる大長篇がある。この全12巻とか14巻とかいわれる大作は、残念なことにその大部分が失われて、現存するのはトリマルキオーの饗宴を中心とするいくつかの断片にすぎない。しかしその断片だけ見ても、この「トリストラム・シャンディ」との親近性にはただならぬものがある。そしておそらくこの「メニッペア」の系列に属する作品は、あまり世に知られていないものも含めれば、かなりの数にのぼるのではないか。

といっても、本書の直接の先蹤とみなすべきは、やはり「ドン・キホーテ」や「ガルガンチュワとパンタグリュエル」あたりになるようだが、その根底にジョン・ロックの「人間悟性論」があるらしいのは、当時の時代思潮を考えると非常に興味深い。というのも、おそらくロックの出現によって、哲学の分野でもイギリスはヨーロッパから独立して一本立ちの構えをとることができたので、そういう勃興期にある市民社会特有の上昇気流の後押しがあってはじめて、こういう奇怪な作品が世にも出れば、もてはやされもしたのではないか、と考えられるからだ。

ロックのほかにもうひとつ、本書に大きな影を落としているのは、ロバート・バートンの「憂鬱の解剖」である。これまた奇書としかいいようのない本で、この本がいかにその後の英文学に多大な影響を与えたかは、私のような門外漢にも薄々とながら察せられる。いや、この本の射程は、ひとり文学のみならず、人文学のあらゆる領域に及んでいるはずである。1000ページに近い大冊だが、これも少しづつ読んでいけばいずれは片づくはずだ、と何年も前から思いながら、いまだに通読できていない本のひとつ。

さて、こんなことを書いていても仕方がないから、ひとつ本書のレジュメでもつくってみようか、と思い立った。そのほうがつまらない感想よりずっと人様のお役に立てるだろう。いまちょっと時間がないので、数日は要すると思われるが、遅くとも週末までには完成したい。

もし週末になっても更新がなかったら、お流れになったと思ってもらって結構です。