イレーヌ・イレル=エルランジェのこと


id:Hadalyさんの旧ブログで紹介されていて興味をもった女流作家。そのときは「独身者の機械」というトピックのもとに包摂されるようなかたちで紹介されていた。そのHadalyさんの買われた本(「万華鏡の旅」)を私も買って読んでみたのだが、どうも内容がストレートに頭に入ってこない。ふつうの小説を読むようには読めない作品だと思った。

ミシェル・カルージュの本「独身者の機械」を訳した高山宏はこの作家をイレレルランジェと表記しているらしいが、そしてじっさいフランスではそのように発音されているのかもしれないが、私はあえてイレル=エルランジェの表記をとった。というのも、イレレルランジェと書いたのでは失われてしまう要素がこの名前にはあるからだ。

彼女が生まれたときの名前はベルト・レベッカ・アリス・イレーヌ・イレル=マノアクという長たらしいもの。このイレル=マノアクという複姓が、のちに作曲家のエルランジェと結婚することによってイレル=エルランジェとなったので、そのことがはっきりとわかる表記のほうがいいのではないか、と思った次第である。

複姓ということでは、やはり「独身者の機械」系列にある重要な作家のヴィリエ・ド・リラダンがいる。このリラダンはリールとアダンとが組み合わされたもの。いまではすっかりリラダンという呼び名が定着しているが、これもかつては「リイルアダン」と書かれたことがあった(岩波文庫のものなど)。そんなわけで、イレル=エルランジェという表記もあながち見当はずれではないと信じている。

さて、この人の書いた「万華鏡の旅」だが、解説を読むとなかなか一筋縄ではいかない小説であることがわかる。解説者(ジャック・シモネッリという人)はこの小説を「独身者の機械」系列に置くよりもむしろ「オカルティズム小説」の系列に置きたがっているようだ。オカルティズム小説というのもよく分らないながら、ちょっと魅力的な呼称だという気がしないだろうか。

オカルティズム(隠秘学)というのは門外漢にはちんぷんかんぷんの秘教のように思われるし、じっさいそういう面もあるだろう。しかし私の考えでは、これはその体系においては秘匿されているかもしれないが、その機能という点ではおおかたの哲学などよりもずっと明快なものではないかと思っている。というのも、オカルティズムの要諦は、「見えるもの」のうちに「見えないもの」の秘密を探る作業にある、と思われるから。そこでは類比(類推、アナロジー)が重要な役割を果たしているが、この類比という心理作用は人間にはほとんど本有的なものなので、ある解読のためのコードが与えられれば、いかに謎めいた表象といえども、合理的に説明がつくのである。

そういうことから考えると、オカルティズム小説は別名エンブレム小説といってもいいかもしれない。

というわけで、この小説をもうちょっとまともに読んでみたいという気持もあって、全体を一章づつ訳してみることにした。すでに第二章までは訳してあって、第三章は近いうちにアップできると思う。このダイアリーのフッタ(左下)にある「翻訳文書館」をクリックすれば飛べるので、興味のある方はどうぞ。

なお、邦題は「万華鏡の旅」ではなくて「曼華鏡の旅」にした。理由は、第一章を読んでもらえればわかるように、この本にいうカレイドスコープは大文字のKaleidoscopeであって、ふつうのkaleidoscope(万華鏡)ではないからだ。カレイドスコープを語源的に分解すると、「美しい形の鏡」となる。その美しいという意味を「曼」の字であらわそうと思って「曼華鏡」としたので、とくに奇を衒ったというわけではない。

以下にイレル=エルランジェの略歴を書いておこう……と思ったが時間がない。それはまた後日(年明け?)にでも書くことにする。