山川弥千枝「薔薇は生きてる」
id:seemoreglassさん経由で知った「薔薇は生きてる」という書物は、かつてこの世で人に愛しがられていた少女の可憐な幽魂を私のもとに送ってきた。私の部屋は反魂香の匂いならぬ薔薇の香りがときめいて、仄のりとした息吹が私の胸をせつなくする。それゆえ私の心は自分の生きている現世を忘れて死者の心臓と一つものとなったのである。……そこで私はさっそくその遺稿集の抜粋を作ってみようと思った。……
……などと気取っていても仕方ないのでざっと紹介すると、著者は1917年に生れて1933年に16歳で亡くなった女性。母親が短歌の雑誌に関係していたため、とくに発表を意図して書かれたのではない弥千枝の文が「火の鳥」誌の1933年6月号に掲載された。ついで1935年に沙羅書店から単行本「薔薇は生きてる」として出され、こんにちまでかたちを変えながら10種類ほどの版本が刊行されている。
私の買ったのはその最新の版本で、創英社という本屋から出たもの(2008年)。穂村弘、川上未映子、千野帽子の諸氏が解説を寄せている。
著者の弥千枝は12歳のとき結核を発症し、その後一時回復して、14歳の春、明星学園に進むが、結核が再発したため一ヶ月で休学、その後はずっと病床にあって再起することはなかった。この本には彼女が病床で書いた小品(エッセイ)、短歌、日記、それに母親の回想などが収録されている。
私がこの文集を読んでまっさきに思い出したのは、去年自分で訳した「モネルの書」のことだった。モネルのモデルになったルイーズという女性が25歳でやはり結核で亡くなったこともあるが、そのことをべつにしても弥千枝はモネルの妹たちの一人に数えられるに十分な資格をもっている。それは古典的な意味でのガーリッシュなものの発露、といえば通じるだろうか。
「あたしのルールー、あたしのミミ、髪の毛が落ちた、お腹が痛い。あたし、お人形のハンカチを二枚縫いなおしたの……」こんなふうに語るルイーズに弥千枝の面影を認めるのはそんなに見当はずれではないと思う。
弥千枝の書くお姫さまの物語は、また私をジャン・ロランの短篇集「象牙と酩酊の姫君」へと導く。この三冊の本は、いまのところ私にとってガーリッシュなものを考えるためのトライアングルになっている。
さて本書に話を戻すと、弥千枝の書いた文に劣らず母親の回想録がすばらしい。このすばらしさはちょっと要約して示すというわけにはいかない。幸いにして下記のページでそのあらましが読めるので、時間のある人はぜひ読んでみてください。
それから、いちばん上に書いた抜粋をつくる試みは、ツイッター上でぼつぼつ進めているので、これも興味のある人は覗いてみてください。
この本に集められた短文や短歌は、それだけとってみればむしろ平凡なものだろうが、山川弥千枝という人の口から発せられると非凡なものになる。モネルはいう、「言葉が言葉であるのは話されているあいだだけ」と。話されているあいだだけ生きている言葉、というのは、話し手が現前しているかぎりにおいての言葉、ということだろう。そして山川弥千枝の文を読むことは、逆説的に山川弥千枝の現前を髣髴させる。この本の永続的な価値はそこにあると思う。