トマス・モア「ユートピア」


恥ずかしながらいまごろ読んだ(平井正穂訳、岩波文庫)。訳文はすばらしく明快で、さすがに英文学は裾野が広いだけあって翻訳の質も高い。

モアのユートピアはどこまでも二重だ。著者は一方の目で理想を追いながら、もう一方の目ではしっかりと現実を見据えている。彼はユートピア国をたんなる理想郷として描き出すのではなく、現実に対するアンチテーゼという面をはっきりと打ち出している。それがひとつ。

もうひとつは、ここに描き出されたユートピア的状況が、「個」と「全体」との弁証法を含むこと。つまりユートピア国には「個人」はいるのかいないのか。いるとすればどういうありかたで存在するのか。というのも、「個」は他者との差異のなかにしか存在しないから。

さらにいえば、ユートピアサナトリウムなのか、それとも牢獄なのか、あるいはどっちでもあるのか。ここでは守られてあることと監禁されてあることとが見分けがたく結びついている。……

もちろんこういった点はあらゆるユートピア文学についてまわるもので、いまさらことごとしくいうまでもない。それらの要素が出揃っているという意味でも、モアの本は「元祖」の地位をたもっているといえる。

私はモアについてほとんど何も知らないが、本書の巻末には訳者の筆になる簡にして要を得た「モア小伝」がついていて、これが非常におもしろい。これを読めばモアがヒューマニズムの擁護者にして殉教者だったことがよくわかる。

あと、思い出したので書いておくが、モアの訳によるピコ・デッラ・ミランドラの伝記はペイターの「ルネサンス」にもとりあげられていて、このエッセイ集に決定的なトーンを与えている。またユートピア国での結婚を特色づけている裸体の見せ合いに関連して、モアの娘たちがこれに近いことをじっさいに行ったエピソードがオーブリーの「名士小伝」に出ている。