ユクスキュル、クリサート「生物から見た世界」


ライプニッツの単子論とフッサール現象学との中間にあるような本(日高敏隆、羽田節子訳、岩波文庫、2005年)。もちろんユクスキュルの本は哲学書ではないが、しかし認識の世界の根拠を外界にではなく内部にもとめ、それを各個体に独自の「環世界」として捉えなおす試みとして、この三者の方法には共通のものがあるように思われる。

ユクスキュルには、地道な研究の積み重ねによる落ちついた学者的なまなざしと、はじめて自然の驚異を前にして大きく見開かれた原始人のまなざしとが共存している。そしてこのまなざしはまた訳者の日高氏のものでもあるのではないか。日高氏の他の仕事のことは知らないが、訳文を読んでそう判断する。

「野原に住む動物たちのまわりにそれぞれ一つずつのシャボン玉を、その動物の環世界をなしその主体が近づきうるすべての知覚標識で充たされたシャボン玉を、思い描いてみよう。われわれ自身がそのようなシャボン玉の中に足を踏みいれるやいなや、これまでその主体のまわりにひろがっていた環境は完全に姿を変える。カラフルな野原の特性はその多くがまったく消え去り、その他のものもそれまでの関連性を失い、新しいつながりが創られる。それぞれのシャボン玉のなかに新しい世界が生じるのだ」

こういうイメージ重視の記述に加えて、各概念がほとんどすべて対のかたちで提示されているので、ユクスキュルの本は一読して非常に明快な印象をあたえてくれる。またこの本の副題に「絵本(Bilderbuch)」とあるように、おもにクリサートの手になる挿絵が豊富に入っていて、これが本書に独特の魅力をそえている。

私がとりわけおもしろいと思ったのは、「最遠平面(fernste Ebene)」という考え方。

「作用空間や触空間とは反対に、視空間は貫通できない壁でまわりを囲まれている。これを地平線、あるいは最遠平面と呼ぼう。……この最遠平面の位置は固定されていて動かないというわけではない。私が重いチフスにかかった後はじめて外に出たときには、二〇メートルほど先に色つきの壁紙のように最遠平面が下がっていて、その上に見えるものすべてが描かれていた。二〇メートルより向こうには遠いものも近いものもなく、小さなものと大きなものがあるだけだった。私のかたわらを通り過ぎる車までがその最遠平面に到達するやいなや、それ以上遠ざかるのではなく、ただ小さくなっていくのだった。……」

この本は子供のころに「動物にはこの世界がいったいどのように見えているのか」という疑問をもったことのあるすべての人におもしろく読まれるだろう。たとえそれがいっときのpasse-tempsにすぎないとしても。