吉川幸次郎「陶淵明伝」


シナの詩人で陶淵明くらい「先生」の呼び名が似合うひともいない。自分でも「五柳先生」などと称しているが、彼にはなんとなくひなびた、村夫子然とした面影がある。隠逸伝中の人ながら、たとえば「論語」にたびたび出てくる、あの得体のしれないぶきみな「隠者」からはほど遠い。彼は隠者になりきるためにはあまりにも世俗的なのだ。陶淵明の諡は「靖節」。この二字は彼のひととなりをよくあらわしている。彼が後世の人々にあれほど慕われたのは、その飄逸な性格によるところが大きいだろう。本書はそんな淵明の生涯を、あくまで彼の詩に即しながら略述したもの(中公文庫、1989年。原本は1956年刊)。

陶淵明の伝記はいろいろとあるようだが、どれも似たり寄ったりの簡単な記述に終始しているらしい。つづめて書けば2、3ページに収まるくらいのもの。それを外的史料でいくらふくらましても先生の姿はかえって稀薄になるばかり。そこで著者がとった方法というのは、彼の詩を内的に解釈することで、詩人の「生活と意見」をあきらかにし、それをふたたび詩に照射することで、詩の解釈をふかめていく、といったもの。この本に支配的なのはこの往還運動だ。

陶淵明の詩というのは、乱暴にいってしまえば、よく焼酎なんかのラベルに書かれている漢詩もどきの酒の歌に近い。四言詩か五言詩ばかりなのもそんな印象を助長する。しかし、陶淵明先生ともあろうものが、そのような焼酎のラベル程度の俗っぽいものにばかり低徊しているはずもなく、引き延ばせばいくらでも広がりそうな心理(あるいは真理)の襞をそのなかに蔵している。著者はその襞をひとつひとつピンセットでつまみあげてわれわれの前に示してくれる。

それは具体的には淵明の詩の解釈(訓詁)として提示される。この手際がなんともいえずすばらしい。その特徴を簡単にいえば、詩に使われている漢字をすべて尊重しながら、定型的な読みにとらわれることなく、比較的自由に前後をつなぎあわせて、詩の全体にひとつの「姿」を与えていること。その「姿」はおおむねゆるやかなカーブを描いていて美しい。そのぶん、漢詩特有のごつごつしたところがなくなって、雄渾な感じは失われるが、淵明の詩に関してはそれでいいのではないかと思う。

その特徴がよくあらわれていると思われるものを写しておく。

きみが衣に在りては襟となり/華やげるこうべの余り香を承けんと願えど/悲し薄衣の襟の宵にきみの身を離るるとき/秋の夜のいまだ明けざるを怨まん
きみが髪に在りては油となり/黒き鬢をきみが撫で肩に刷かんと願えど/悲し佳き人のしばしば髪洗いたまえば/米のとぎ汁に従いて枯れ煎えん
昼に在りてはきみが影となり/常にきみが形に依りそいつつ西し東しせんと願えど/悲し高き樹には蔭多ければ/慨れたくも時有りては共にせざらん


これは淵明の全作中、「白璧の微瑕」と貶されることの多い(多かった?)「閑情の賦」の一部だが、まるでフランス前期サンボリスムの詩のようではないだろうか。

陶淵明は儒、仏、道の三教にある程度通じていたらしい。これはともすれば儒教一辺倒になりがちな中国の詩人から彼を区別するところだろう。そういう点で彼の詩はインターナショナルな性格を帯びているといえる。それに加えて、田舎に引っこんで百姓をして暮らしながらも終生失われることがなかった政治的関心。こういったところに彼の特質があるように思った。