七宝さまざま

  • 金、銀、瑪瑙、瑠璃、硨磲
  • 玻璃、珊瑚、真珠、玫瑰
  • 琥珀

宝玉の名前には「王」偏のつくものが多い。これは正しくは「玉」偏であって、日本語の「たま」にあたる。上にあげたのは、仏典にいわゆる七宝。七宝なのに十個あるのは、出典によってあげられているものがまちまちだから。

「硨磲」の読みは「シャコ」で、字を見ただけでは何のことかわからないが、これは要するにシャコ貝のことらしい。あのばかでかい貝が七宝のひとつとはちょっと意外だ。

玫瑰(まいかい、ばいかい)は中国に産する赤い石らしい。日本では「玫瑰」に「はまなす」の読みをあてている。中国ではバラ一般を「玫瑰」と呼んでいるらしい。いずれにしても、いまでは金石ではなくて植物の呼び名になってしまっているようだ。

瑠璃はラピスラズリのことらしい。これはよくラピスと略されるが、ラピスはラテン語で「石」のことだから、あんまりいい略称とはいえない。瑠璃はもともと梵語のvaidurya(猫眼石)の音訳。

玻璃は一般にガラスのことだが、七宝のひとつとしては「水晶」をさす。梵語sphatika(水晶)の音訳。

琥珀はアンバー。アンバーにはべつに竜涎香の意味もあって、これはマッコウクジラからとれるらしい*1メルヴィルの「白鯨」に「竜涎香」なる一章があるよし。

ちなみに、本草綱目巻十一には「竜涎石」なるものが出ている。「主大風癘瘡。出斉州。一名竜仙石」と説明がある。「大風」も「癘瘡」もレプラをさすようだ。


(付記、8/18)
本草綱目巻八の「水精(水晶)」の附録にこんな記述があった。

「火珠。時珍曰、説文謂之火斉珠、漢書謂之玫瑰、音枚回。唐書云、東南海中有羅刹国、出火斉珠、大者如鶏卵、状類水精、円白、照数尺、日中以艾承之則得火、用灸艾炷、不傷人、今占城国有之、名朝霞大火珠、又続漢書云、哀牢夷出火精琉璃、則火斉乃火精之訛、正与水精対」

これで見ると、「玫瑰」とは「火斉珠」の別名ということになる。火斉珠についてはまるで知らないわけではない。南方熊楠のエッセイに「火斉珠に就て」というのがある。で、これを見ると、上の一文がそっくり引用されているのみならず、孫引きもふくめて何冊もの本を引きながら玫瑰の考証がなされている。すごいなあ、と思って読んでいたが、けっきょくのところ、南方先生の博捜をもってしても、「秦漢の時玫瑰と呼びしは、何か赤き貴石なるべし」というたよりない結論しか出ていない。

そんなわけで、七宝のうち玫瑰だけが幻の金石ということになる。

あと余談だが、「夢渓筆談」という本には玫瑰について「美而微紅、温潤明潔」とあるらしい。これでみると、赤いというよりバラ色の石ではないかとも思う。バラ色の石ならうちにもある。アッシジで拾ってきた小さい石がそれだ。聖フランシスと聖キアラの寺の周辺にはこんなバラ色の石がいっぱい散らばっている。そういえば、あのふたつの寺そのものがバラ色をしていた。

もちろんこの小石は貴石でもなんでもなく、たんなるごろた石にすぎないが、私にはなんとなくなつかしい気がする。


(追記2、8/27)
岩波文庫の「般若心経」の訳注には、玫瑰に「たいまい」の読みをあててある。たいまいといえば亀くらいしか思い浮ばないが、仏典にいわゆる玫瑰は玳瑁のことなのだろうか。

考えてみれば、この七宝の出所である法華経はインドでできたものだから、いかに貴石といえども中国原産のものが出てくるのはおかしい。サンスクリットの原文の当該箇所を参照できればいいのだが(それが漢訳法華経の底本かどうかは別として)。

と思っていたら、岩波書店から梵漢和対照の法華経というのが出ているらしい。二冊本で1万円を越すので購入は無理だが、図書館ででも見てみたい。


(追記3、10/10)
上の追記で、仏典の七宝のうち玫瑰だけが幻の金石、と書いたが、今回その出典のひとつ、「法華経」の原文を参照することができたので、いちおう報告しておく。

サンスクリット法華経に出ている七宝を列挙すると、
1) suvarna(スヴァルナ)
2) rupya(ルーピヤ)
3) vaidurya(ヴァイドゥーリヤ)
4) musara-galva(ムサーラ・ガルヴァ)
5) asmagarbha(アシュマガルバ)
6) lohita-mukta(ロヒタ・ムクター)
7) karketana(カルケータナ)
となっていて、このうち問題の玫瑰はカルケータナに相当する。

サンスクリットの辞書(漢訳対照・梵漢大辞典)を引くと、スヴァルナ(金)、ルーピヤ(銀)は問題ないとして、あとの五つはいろんな意味であやしい。

ヴァイドゥーリヤは瑠璃と漢訳されているものの、どうやらラピス・ラズリではなく猫目石をあらわすらしい。ムサーラ・ガルヴァの漢訳「硨磲」はシャコ貝ではなくて、どうも珊瑚の一種のようだ。またこれは硨磲以外にも、琥珀とも瑪瑙とも訳されていて、同定するのが困難になっている。アシュマガルバは瑪瑙と漢訳されているが、辞書によれば第一義的にはエメラルドを指すらしい。ロヒタ・ムクターは「赤い真珠」の意味。

で、問題のカルケータナだが、これは猫睛石(石英の一種)と説明があり、玫瑰、水精、猫睛と漢訳があがっている。水精とは水晶のこと。また石英の一種とあることから、おそらくは赤い石ではなくて無色透明の石をさすと思われる。

というわけで、仏典のカルケータナと中国産の玫瑰とはおそらく別物、という結論になり、玫瑰は依然として謎のまま残ってしまった。カルケータナの訳としてはむしろ「玻璃」のほうが適当なのではないか。

これを要するに、漢訳仏典は個物についても必要以上に中国化がなされていて、これだけをたよりに原文を推し量るのは無理がある、ということだ。

あと余談だが、アシュマガルバで思い出すのは、ドイツ語のスマラクト(Smaragd)。これはエメラルドのことだが、エメラルドは語源をたどっていくと、ギリシャ語のスマラグドス(smaragdos)にいきつく。で、このスマラグドスはサンスクリットのマラカタ(marakata)に由来するらしいのだが(バイイ説)、アシュマガルバ(asmagarbha)とも関係があるのではないか、と思う。たんに字が似ているというだけのことだが。

*1:マッコウクジラのマッコウとは抹香のこと