ケート・D・ウィギン「少女レベッカ」


少女愛文学のふたつめ(大久保康雄訳、角川文庫)。これはダメだった。主人公のレベッカをいい子に仕立て上げすぎているし、それだけに彼女を取り巻く大人たちのえこひいきがまた尋常ではない。民主主義の風上にもおけない小説。小さい女の子が読んだらそれなりにおもしろいのかもしれないが、男の、しかもおっさんの私ではダメみたいだ。

訳者のあとがきによれば、この本は「『若草物語』とならんでアメリカ家庭小説の古典として、いまなお愛読されている」とのこと。この「家庭小説」というのが私の注意をひいた。というのも、家庭小説はアメリカではどうあれ、日本では独自の発展をとげたジャンルとして、プロレタリア文学とともに私のひそかな戦慄になっているからだ。

日本の家庭小説についてはいずれちゃんと読んでからなにか書いてみたい。

「少女レベッカ」は家庭小説というだけでなくて、「教養小説」としても読むことができる。このふたつの要素を結びつけたうえで、それを強引に裏返せばどうなるか。それがリストのあとのほうに出ている「ペピの体験」以下のポルノになることは見やすい道理だろう。

といっても先を急ぐつもりはないので、引きつづきりストの順番に読んでいきたい。


(おまけ)
ゆうべこの小説を半分ばかり読んでから寝たら、自分が少女になって知らないおじさんと話をしている夢をみた。自分が少女になっていることは、鏡の前でドレスをあわせているのを「見た」のだから確かだ。ふしぎなこともあるものだと思った。