トレフォイル「楽師と怪獣と迷路」

sbiaco2006-09-05



中世音楽を聴く弊害というものがもしあるとすれば、それは近・現代の曲に対して感受性が鈍くなることだろう。こういうものになじんでしまうと、大バッハの曲すら、なにか色あせたものに聞こえてしまう。これは本末転倒もいいところで、中世音楽などは本来おやつのようなものであるべきなのだ。つまり、主食はちゃんとべつにあって、気が向いたときにちょっとつまみぐいする程度にとどめておくべきなのである。

ところが、自分の場合、おやつが主食に完全に取って代ってしまっている。いつまでもこんな状態を続けているわけにはいかないと思う反面、毒食らわば皿まで、という気持がないでもない。もうこうなったら飽きるまで聴いてやろうと思っている。飽きたら飽きたで、またべつの地平が開けるだろう。

さて、今回買ったCDだが、題名からもうかがえるように、中世音楽を「怪獣」と「迷路」の側面からとらえる試みのようだ(2005年、MSRクラシックス)。怪獣というのは、中世の動物誌に出てくる幻想の動物たちで、中世の詩人はこれらのけものにいろんなアレゴリーを託した。もっとも、ここにはそういう純然たる(?)怪物のみならず、神話上の神々や半神も登場する。ときの王侯貴族は、音楽をつうじてそういう神話的な世界にあそぶのが好きだったらしい。ルートヴィヒ二世のような王様は中世にも少なくなかったのだ。

迷路のほうは、アルス・スブティリオルの楽譜がすでに迷路の様相を呈しているので、それをダイダロスのつくった迷宮に見たてて、そこにアリアドネの糸を見出そうという趣向のようだ。自分としては、ここに錬金術との関連も指摘しておきたいと思う。アルス・スブティリオルの楽譜と、中世の錬金寓意書とのあいだには、どこか共通する匂いが感じられないだろうか。

トレフォイルは三人組のグループで、各自が歌も楽器も担当している。そのため、表現の幅が非常にひろくなっている。もともと中世の宮廷音楽はいまでいう室内楽的な要素がつよかったらしいから、こういう演奏形態は中世の伶人のありかたを現代によみがえらせたものだともいえるわけだ。そういう意味でも、なかなか意欲的なCDだと思う。