簡体字について


ときどきウェブサイトで正字正かなを使っているひとを見かける。なかには掲示板やコメント欄にまで正字正かなを使っているひともいる。日本式の略字になじみきっている自分のような人間からすると、ちょっと頭がおかしいんじゃないか、と思ってしまうような人種だ。たかがメッセージのやりとりに、なんでそこまで威儀をただす必要があるのか。理解しかねる心事としかいいようがない。

とはいうものの、中国の簡体字を眺めていると、略字というのがいかにも理不尽で小汚いものに思われてくる。書くときは仕方ないにしても、印刷する段階でちゃんと正字にするという手もあるのではないか。それは日本の印刷物についても同じことで、かなづかいも含めて、簡略化する必要はあったのか、といまさらながらに思ってしまう。その程度のことで日本人の識字率がアップしたとはとうてい思えないからだ。

ともあれ、これまで漠然としか興味をもっていなかった漢字に対して見る目がかわっただけでも、簡体字を知ってよかったと思う。簡体字を知ることのメリットはもうひとつあって、これさえおぼえてしまえば、中国語を知らなくても中国の出版物(もちろんウェブもふくめて)についてある程度の理解が得られることだ。「ある程度」というのが五割くらいだったとしても、ちんぷんかんぷんよりはずっとましだと思うのだが、どうか。

さて、冒頭に書いた現代日本における正字正かなの使用についてだが、新字新かなの理不尽さをじゅうぶん考慮にいれたうえでも、やはりこれはちょっといただけない気がする。もちろんこれは自分の個人的な好悪の問題だから、是非を論じてもはじまらない。

それでもあえて思うところを述べれば、けっきょく文には品格というものがあって、正字正かなはある一定レベルの品格を要求する、ということだ。そのレベルに達していない文は、いくら正字正かなを使って書いたところで、水に油のような違和感を感じさせるだけなのである。

この、内容と形式とのつりあいがとれていないところが、現代の正字正かな文のいちばん痛いところではないか。現代のお粗末な表現には、それなりの表記がふさわしい。げんに歴史的かなづかいなどはある種のパロディの対象にすらなっている。で、私はといえば、いまの言語的なアナーキズムを愛している。そして、新字新かなはこのアナーキズムによく合致していると思う。

中国の簡体字についても、事情は同じだろう。


(追記)
ここに拙文に対する反論が出ています。興味のある方はどうぞ。