ドストエーフスキイ「悪霊」(一)


四冊あるうちの一冊目を読んだ(米川正夫訳、岩波文庫)。しかし、この一冊だけでは、物語的な進展はほとんど感じられない。音楽でいえば前奏曲みたいなものだろう(やや長すぎるが)。二冊目以降、徐々に物語が動きだすのではないかと思う。そうでないと、退屈でやりきれない。

ところで、この本の題名だが、原題では悪霊が複数形になっている。くどく訳せば「悪霊たち」だ。どうも昔のひとは悪霊をつねに複数形で考えていたようで、聖書にも「わが名はレギオン、我ら多きが故なり」とある。悪魔の王ベルゼブルが蝿のかたちをしているのも、つまり群がっている多くの蝿に古代人が悪魔的なものを感じたからだと思えばいい。彼らはたぶん、無数の蝿のあつまりが大きな蝿のかたちになっているようなイメージを思い描いていたのだろう。

これは現代人の感覚でいえば、ウイルスなんかに近いのではなかろうか。ウイルスを一匹(?)だけ取り出してイメージするひとは少ないと思うから。

ちなみに、キリスト教では悪魔と悪霊と悪鬼とはそれぞれ区別されているようだ。そして、悪霊は「あくれい」と読むらしい。そういえば、埴谷雄高の有名な小説「死霊」は「しりょう」ではなくて「しれい」と読む。ドストエフスキーのこの小説も「あくれい」と読むべきなのだろうか。