兼常清佐「音楽と生活」


この本の根幹をなすのは、1935年から1941年にかけて出された三冊の本から選ばれたエッセイで、あと、冒頭と末尾にほかの本から一篇づつ採録されている。選択にあたっているのは杉本秀太郎氏。私は杉本氏の仕事にはあまり共感をもっていないが、この本は解説もふくめてよくできていると思う(岩波文庫、1992年)。

この本では、冒頭に集められたエッセイ群がいちばんおもしろい。まず「くたばれ! 精神性」、ついで「名演奏家なんかいらんわい」、さらに「クラシックなんか聴いて悦にいってるやつは負け組じゃ」、はては「ピアニストは円タクのおやじと変わらん」とくる。痛快なことこの上ない。しかも、これらの批評にはすべて科学(エセ科学?)の裏打ちがある。著者は勝ち誇ったかのようにこういう、「私はマテリアリストである」と。

しかしこのマテリアリスト、一面では素朴なセンチメンタリストとしての顔ももつ。このふたつの顔が奇妙なぐあいに混じりあっているところに兼常のエッセイのおもしろさがある。ちゃんとした音楽批評を期待して読んだら不満がのこるが、翻って考えてみると、そもそも音楽というものが批評の対象になりうるだろうか。著者もいうとおり、「結局、音楽批評は、ディレッタントの仕事である。──せいぜい、文学的な仕事であるにすぎない」。

批評と音楽との関係は、アキレスと亀のようなものだ。勝負ははじめからついてしまっているのである。