「牧神の午後」散文訳(その2)


「おれはここで、たくみの手によって馴らされたうつろな葦を折っていた。そのとき、はるか彼方、金色に照り映えた緑草が葡萄の蔓を泉に捧げているあたりに、なにやら白いものの姿が憩っているのがゆらゆらと見えた。この一群の白鳥、ではなくてナイヤードは、できたばかりの葦笛から流れ出すゆるやかな序奏に驚いたのか、いきなり立ちあがると、あるものは逃げ出し、あるものは水のなかへ飛びこんだ。……」

なにも動かない。獣くさい時間のなかで、あたり一面うだるような暑さだ。あれほど多くの処女が、いったいどういう魔法のわざでいっせいに逃げ出したのかを示してくれるものはなにもない。おれはといえば、笛でラの音を求めながら、彼女らを一途に望んでいたのに。

もしかしたら、あのときおれは最初の情欲にめざめつつあったのかもしれない。昔ながらの陽光が降りしきる下で、ただ一本、あられもなく立ちあがった、これは百合の花だ! あけすけなことにかけてはどんな百合の花にも劣らない。

彼女らの唇によって明かされたあの甘美なあだしごと、不実な恋人たちの心をひそかに捉えて離さない接吻の快楽は別として、いかなる罪にも潔白なおれの胸は、なにかしら威厳のあるものの歯にかまれて玄妙な傷を負ったような感覚をはっきりとおぼえた。

しかし、それが何だ! 青空の下で吹き鳴らす太い双管の葦笛こそは、このような秘めごとの友として選ばれたものではないか。頬をふくらませて笛を吹けば、笛は頬の痛みをわが身にひきうけ、長い独奏のうちに、吹くものを夢見心地へといざなう。思えばおれたちは周辺的な美というものをずいぶん甘やかしていた。うかつにも美それ自体と、おれたちの気軽な歌とを混同していたからだ。またこの夢見心地は、おれが目をとじて追い求めるニンフの背中だの脇腹だのといったありきたりの妄想から、騒々しく無益で単調な輪郭を消し去ってくれる。それはほとんど愛というものの性質が変わってしまうほどの高みだ。