フーゴー・シュタイナー=プラーク「ゴーレム」

sbiaco2006-02-28



ペンギン双書の「三つのゴシック小説」の冒頭に、現代のゴシック小説(?)として引き合いに出されていたのがグスタフ・マイリンクの「ゴーレム」とブルガーコフの「巨匠とマルガリータ」だ。ブルガーコフはともかく、マイリンクの本はだいぶ以前に読んだことがある。とにかくつまらなかったという記憶しか残っていない。だれの翻訳だったか忘れたが、ほとんど読むにたえないしろものだった。出版社はたしか河出書房新社だったと思うので、その気になればすぐに調べられるだろう。

しかし、ほんとうにつまらない小説だったのだろうか。少なくともマリオ・プラーツが引き合いに出しているくらいだから、まるきり無価値のものとも思えない。というわけで、今回ドイツから原書を取り寄せてみた(LANGEN-MUELLER, 1972)。私のドイツ語はとても小説を読みこなすようなレベルではないが、雰囲気くらいならなんとか味わえるだろう。

で、着いた本を見ると、なんとも奇妙な挿絵が入っている。挿絵が入っていること自体は注文するときにわかっていたが、まさかこんなすごいものだったとは……

その挿絵画家の名前はフーゴー・シュタイナー=プラーク(Hugo Steiner-Prag)。どうやら鉛筆か木炭で描いているようだ。主題はユダヤ人街とそこに出没する怪しい人々。このユダヤ人街の雰囲気がすばらしい。匂いや湿気までが伝わってくるようだ。それにしてもなんという才気、なんという奇想だろう。私の知っているたいして多くもない挿絵画家のうちでも、こんな風変わりな絵を描く人はいない。ひとことでいえば表現主義ということで片がつくのかもしれないが、表現主義特有のエゴの表出がほとんどみられないところがひどく自分の気に入った。

十九世紀の挿絵本にはすばらしいものもいっぱいあるが、それらの画家はおおむね職人であって、本という「もの」のなかでしか生きることができない。一方、フーゴー・シュタイナー=プラークはそういった職人としての挿絵画家ではない。彼の挿絵は「もの」としての本の限界を突き破って、それ自体が独立の鑑賞にたえるような、いわば芸術に近いものになっている。

とはいうものの、彼の挿絵が完全にテキストから独立しているかといえばそうでもない。彼はここでテキストに密着しつつテキストを超えるという、一種の離れ業を演じているのだ。そういうあやういスタンスがまた彼の絵をいっそう魅力的に見せているのかもしれない。


(追記)
鉛筆画ではなくて、リトグラフィだとのこと(カバーの紹介文より)。