マゾッホ「魂を漁る女」

sbiaco2006-02-27



「聖母」につづくマゾッホの第二弾(藤川芳朗訳、中公文庫)。基本的な構図は「聖母」と同じだが、作品の規模といい、内容といい、いちじるしくスケールアップされている。それに応じるかのように、藤川氏の訳文も一段と立ちまさってみえる。ほとんど文句のつけようのない出来だ。これはもう参りましたというしかない。

前にボロヴズィックに関連して、根底に暴力と背徳と官能とをひそめないようなものには真に感動しない、というようなことを書いたが、この小説ではこれら三つの要素が根底にひそむどころか、ほとんど身も蓋もない状態で全面的に展開されている。さらに背後には「聖性」があたかも十字架のように屹立しているのだからたまらない。

この小説が「聖母」と比べてすぐれている点のひとつに、登場人物が生きて動いていることがあげられる。これはロマンとしては非常に重要なことだ。主人公のドラゴミラだって、たんに組織に操られるだけの、血も涙もない人形のような存在ではない。そのことは、最後のアニッタとの一騎打ちにおいて暗示的にあかされるだろう。

しかし、こういう本が埋もれたまま100年も経ってしまったとは残念でならない。芥川竜之介は「マゾッホですか? マゾッホというやつは馬鹿ですよ」と放言したが、この小説を読んでいたら、まちがってもこんな言葉は吐かなかったはずだ。