B.E.エリス「アメリカン・サイコ」


読んだ感想をひとことでいえば「最低!」なのだが、それだけではあんまりなので、いちおう所感のようなものを書いておく。

訳者のあとがきによれば、この長篇が評判になったのは、作中における「残虐きわまりない殺人場面」のためらしい。しかし私はそれらの描写を読みながら、いっこうに残虐とも何とも思わなかった。それは私の感覚が麻痺しているからではない、この小説そのものが現実感を失った、いわば「麻痺」の状態にあるからだ。

本書に向けられた悪評としては、残虐、無意味、悪文などがあるらしい。私はここで「無意味」に注目したい。この「無意味」がえんえん400ページにわたって持続することで、作品そのものが麻痺状態に陥っているのである。そしてその麻痺状態、すなわち一切の現実感を欠いた、風景もなにもないのべたらで一元的な世界こそがサイコパスの精神そのものである、と作者はいいたいらしいのである。つまり、凶悪犯の心のなかを覗いてみても、そこには絶対的な意味の欠如があるばかりで、およそ語るに足る(すなわち合理的な)ものはなにも見出せず、いわゆる犯罪心理学者たちがもっともらしく語る犯罪の動機のようなものはことごとく嘘っぱちである、といったようなことである。

最後に悪文云々についていえば、「無意味」を表現するために作者のもちいた文体がはたして「悪文」と呼べるのかどうか、私にはわからないが、これの翻訳は大変だったろうと思わざるをえない。言葉の「意味」を忠実に写し取りながら、しかもそれがどこまでいっても「無意味」でしかないというこの気の遠くなるような作業(文字どおり意味のない作業)を最後までやりとげた訳者(小川高義)の努力をたたえたい。