ストラヴィンスキー「春の祭典」


あまり好きになれなくて敬遠していた「春の祭典」だが、どういうわけかこのところすっかりはまってしまい、毎日のように聴いている。「春の祭典」なんてつまらんじゃないか、というのが口癖だったのに、この変化はどうしたことだろう。もしかしたら、緩慢な毒が持続的に作用して、ついに中毒症状を起したのかもしれない。

しかしこの演奏(アシュケナージとベルリン・ドイツ交響楽団のもの。ロンドン原盤)に長らく親しめなかったのにははっきりした理由がある。それはダイナミックレンジが大きすぎて、ピアニシモはほとんど聞き取れないほどなのに、フォルティシモになるとスピーカーが飛ぶかと思うほどの爆音になってしまうからで、この爆音ばかりがやたらに耳につくせいか、デリカシーのない、インテリジェンスの欠如した、野蛮で痴呆的な音楽、という印象が根強く残ってしまったのである。

こういうのはどうなんだろう、じっさいの演奏はどうあれ、レコード(CD)にするときに録音レベルをある程度均等にすることはできなかったのだろうか。うちで聴く録音は、コンサート会場で聴く生演奏とはどこまでも別物なので、べつに演奏そのままを忠実に再現する必要はないのである。むしろ小さい音を強調し、大きな音を抑えていたら、レコード芸術としてはずっと聴きやすいものになったのではないか。演奏内容がすばらしいだけに、その点がひどく惜しまれる。

このCDにはピアノ連弾による演奏も入っていて、これがまたすばらしい。オーケストラ版ではわかりにくい音の排列と結合が、ピアノで演奏されることでくっきりと浮き出てくる。その細部のきらめきは宝石の稜線のように美しい。そしてこれを聴いたあとでまたオーケストラ版をきくと、今度は各楽器の音色の配合の巧みさにうーんと唸ってしまう。

美は乱調にあり、とだれかが言っていたが、しかしその乱調がすみずみまで理性に統御されているというのは、なんにしても驚くべきことではないだろうか。

いずれにせよ、同じ絵のタブローと版画とを一枚に収めたようなこのCDは、「春の祭典」入門用にはうってつけのものだと思う。