「マタイ受難曲」

sbiaco2011-04-17



リヒターによるバッハの宗教曲ばかり集めた10枚組のセットが出たので買ってみた(アルヒーフ)。彼の「マタイ受難曲」は数あるこの曲の録音のうちでも最高の部類に属するらしいので、斎戒沐浴したような気になって聴いてみたが、そんなにいうほどすごいかなあ? というのが正直なところ。いや、もちろんすごいのはすごいのだが、そんなに大騒ぎするほどのものではない。1958年にこれが出たころの衝撃はすでにないといっていいだろう、もちろんそのことについてはリヒターには何の責任もない、むしろその後これだけたくさんの「マタイ」の名演が出たというその事実が、リヒターの偉大さを逆に物語っているだろう、乗り越えがたい、しかし乗り越えなければならない壁として立ちはだかっていたリヒターの演奏は、半世紀がたつうちにしだいに壁であることをやめ、すでにひとつのモニュメントと化したかの観がある。

しかしリヒターの演奏における精神性とは何だろうか、キリスト教徒でもない人間に精神性などというものが分るのだろうか?

バッハによる神への捧げ物、リヒターによるバッハへの捧げ物、演奏者によるリヒターへの捧げ物、この三重の「捧げ物」の性格が、非キリスト教徒にもなにかしら宗教的なものを感じさせるのだろうか、そこに見られる「献身」の精神が、世人のいうところの「精神性」の精髄なのだろうか?

リヒターの演奏では、フィナーレが少々弱いように感じたけれども、それでもあのイントロとともに合唱が入るところでは思わず目頭が熱くなった、そこではあの三重の捧げ物をさらにとりまく四つ目の捧げ物ともいうべき、全世界の人々のこの録音に対する帰依の感情に私も捉えられたからである。


(追記、4/20)
ゆうべたまたまメンゲルベルグのマタイが聴けるページをみつけた。

時間がなかったので冒頭の合唱だけ聴いてみたが、この異様な演奏には心底驚かされた。そしてその余韻は今日になっても消えず、ほぼ一日この合唱が頭のなかで鳴っていた。

ところでこの演奏には上で言及した「精神性」なるものはあるのだろうか? ぜんぶ聴いたわけではないので断言はできないが、そんなものはないか、あっても限りなく稀薄だろう、「精神性」などという神秘的かつ宗教的な感情ではなくて、もっと根源的な「情念の叫び」のようなものを感じる。この演奏から受ける感動の質というのは、おそらく日本人が演歌などに感じるそれと同じ性質のものだろう、いずれにしてもバッハの通俗性がここまであらわになった演奏も珍しい。

マタイ受難曲かね、メンゲルベルグを聴いてみたまえ、受難曲(パッション)が情念(パッション)に化けてしまうぜ」