カール・リヒターの演奏


CDプレイヤーを新調してから、昔買ったCDをあれこれ蒸し返しているが、どうもこれといったものがない。どうしてこんなものにいっときにもせよ熱中したのか、と思ってしまうようなCDばかりでうんざりする。そして残念なことに、その「こんなもの」の中にバッハも含まれてしまうようなのだ。なんということだろう、こんな事態がくるとは予想していなかった。すでに私にとって音楽の季節は過ぎ去ったのか。

と弱気になっていたが、きょうはバッハにがつんとやられた、もっと正確にいえばカール・リヒターにやられた。

手持ちのCDから「ミサ曲ロ短調」をいくつか聴いていて、どうもつまらんなあ、と思いながら、最後にリヒターのものをかけてみた。じつは最初になじんだのがこのリヒターのものだったので、せめて口直しにとかけてみたのだ、ところがこれが……

これはもうほかの演奏(いずれもそれなりにすぐれたもの)とは別次元のものというしかない、この奇蹟のような演奏を前にすると、バッハを「こんなもの」の範疇に入れるなんて十年、いや百年早いといわざるをえない。

リヒターの演奏に特徴的なのは、声楽陣の若さである。実年齢がどうなのかは知らないが、少なくとも音を聴くかぎり、はたちを超えていそうなのは一人もいない。この異様な若さは何なのか、とちょっと気になった。

若いという言葉には二つの意味がある。ひとつは年齢が少ないという意味、もうひとつはより前の時代に属するという意味。後者の意味からすれば、現代人よりも明治人のほうが若い、ということになる。

そしてここに聴かれる合唱はといえば、このふたつの意味を兼ね備えているようなのだ。年齢的に若く、時代的にも若い。つまるところ、彼の演奏からは「永遠の若さ」のようなものが感じられるのである。

回春剤としての音楽鑑賞、なんていうといかにも下世話に響くけれども、少なくとも私にはその効果はあった、なにしろバッハを「こんなもの」から奪還しえたのだから。