「よろしかったでしょうか?」について


ひとさまのエントリに乗っかるのはあまり好きではないが、長らくダイアリーから離れていて調子が出ないので、復帰のための練習のつもりで。

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091013/1255409629

で、私はといえばこういう問題についてはまったく定見がなくて、「よろしかったでしょうか?」についてもいいともわるいともいえない。これは正しいか、間違っているかではなくて、いままでになかった日本語、つまり新造語のたぐいなんだと思う。

私にとって重要なのは、これが正しいか間違っているかよりも、この言い回しを使う人の態度や表情のほうにある。うっとりするくらい綺麗な人がにこやかな笑みを浮べながら、すばらしいトーンと抑揚で「よろしかったでしょうか?」といった場合、これを聞いて不愉快な気持になる人がいるだろうか。おそらくは釣りこまれて「は、はい、けっこうです」と額に汗をにじませながら答えてしまうのではないか。

そして店を出てからもその声のトーンが忘れられなくて、何度も頭のなかでこの「よろしかったでしょうか?」を繰り返しているうちに、だんだんこの表現が粋なものに思えてくる。それはなにもふしぎなことではない。耳慣れないだけにこの表現は聞き手に魔術のような効果を及ぼすのだ(上述のような好条件が揃えば、ですよ)。そして気づいたときには自分でもこれを「気のきいた言葉」として使ってしまっている、といった事態もじゅうぶんに考えられる。

この憶測があたっているとすれば、ここでもみうらじゅんの至言「ひとの行動基準は正しいか間違っているかではない、カッコいいかどうかだ」はみごとに妥当する。そう、ひとはカッコよさを求めて今日も明日も明後日も、空に太陽があるかぎり、新しい表現を次々にひねり出すものなのである。そして、それに応じて「正しい日本語」も徐々にかたちを変えていく、という次第なのだ。