森鴎外「即興詩人」(下)


調べてみると、この作品、青空文庫にも入っている(→ハンス・クリスチアン・アンデルセン Hans Christian Andersen 森鴎外訳 即興詩人 IMPROVISATOREN)。けっして読みにくくはないが、しかしこの長さをパソコンで読み通すのはちときびしい。こういうのはあくまでも検索用だなあ、と思う。とはいうものの、これをネットで読めるようにしたのは賞賛に値する。明治の翻訳で日のあたらないものをもっともっと電子化してほしい。

さてこの本だが、下巻になるとがぜんアンデルセン版「イタリア紀行」の観を呈してくる。じっさい、本書を読んで感動した明治の人々は、イタリアへ旅行するにあたってこれを案内書がわりに使っていたらしい。しかしここでも著者の個人的な嗜好は如何ともしがたく、ナポリヴェニスに多くのページが割かれているにもかかわらず、フィレンツェなどはほんの数行ですまされている。

ミラノのドゥオモの描写。

「われは日ごとにミラノの大寺院に往きぬ。此寺はカルララの大理石もて、人の力の削り成しし山ともいふべく、月あかき夜に仰ぎ見れば、皎潔雪を欺く上半の屋蓋は、高く碧空に聳えて、幾多の簷角、幾多の塔尖より石人の形の現れたるさま、この世に有るべきものともおもはれず。昼その堂内に入れば、……五色の窓硝子より微かに洩るる日光は、一種の深秘世界を幻出し、人をして唯一の神ここに在すかと観ぜしむ」

私も小雨のふる一月、ミラノの町を歩いていて、いきなりドゥオモの建つ広場が眼前に開けたときの驚きはいまでもよくおぼえている。まさに「幻出」という言葉がふさわしい。よもやこんなものが、とそのときはひどく感心したが、何度も見るうちにだんだんと当初の熱はさめていって、しまいにはそのごてごて趣味に嫌気がさしてきた。これに比べたら、フィレンツェのドゥオモのほうがどれだけ深みがあることか。

ヴェネツィアの描写。

「われは始て「ゴンドラ」といふ小舟を見き。皆黒塗にして……水の上なる柩とやいふべき。……我は身を彼水上の柩に託して、水の衢に入りぬ。……あはれヱネチアとは是か、海の配偶と云ひ、世界第一の富強者と云ひしヱネチアとは是か。……その所謂繁華は羅馬のコルソオに孰与ぞ、又拿破里(ナポリ)の市に孰与ぞ。……ヱネチアは大いなる悲哀の郷なり、……死せる都府の陰森の気は、光明に宜しからずして幽暗に宜し……」

これは私の印象に合致する。「死せる都府の陰森の気」とはじつにうまい形容だ。そしてその言葉に呼応するかのように、ここではもうひとつの「ヴェネツィアにての死」が語られる。

下巻の、いな全巻のクライマックスはアヌンチヤタが主人公にあてた手紙で、これを読んだらどんな人でも泣いてしまうだろう。「候文」なんて紋切型で定式的で、感情の流露にはなはだ乏しい、と思っている人にはぜひとも読んでもらいたい。本書には何人もの女性が登場するが、どの女もけっきょくはアヌンチヤタの化身にすぎないことが、この手紙を読むとよくわかる。

巻末の解説には、鴎外の翻訳方法が手短に説明されている。なるほどこういうやり方もあるのか、と思った。いずれ自分でも真似してみたい。鴎外の真似なんて百年早いといわれそうだが、柳田国男の真似をするよりは容易いと思う。