ボードレールの新訳にふれて
anatorさんのおすすめに従って「ボードレール、マイヤー、ペイター」を買う。ネット古書で500円だった。
これには「悪の華」の新訳(といってもすでに20年以上も前のものだが)が入っている。おまけ(?)とはいえ、ボードレール愛好家としては読まないわけにはいかない。
で、私のとくに好きな詩篇をいくつか選んで読んでみた。
感想はといえば、ああ、やっぱりなあ、という感じ。
あるいは、ついにここまできたか、という感じ。
どっちにしろ、ここには《わが》ボードレールはどこにもいない。
ウーム……
ボードレールのこの詩集が出たとき、ヴィクトル・ユゴーは「新しい戦慄」の創造者として著者をほめたたえた。新しいかどうかはともかくとして、「戦慄」抜きのボードレールなんて気の抜けたビール以下のものでしかない。
この安藤訳を読んでそんなぞくっとするような詩句に出会うことがはたしてあるだろうか。
ボードレールはここに見られるようなものわかりのいい小父さんでは断じてなかったと思うのだが。
私にボードレールの戦慄を伝えたのは鈴木信太郎で、出来不出来はともかくとして、あの岩波文庫の訳はいまでも自分のスタンダードになっている。次に読んだのが斎藤磯雄の抄訳だったが、これはあまり印象に残らず、感心もしなかった。その次に読んだのが堀口大学訳。これは鈴木訳とはずいぶん感じがちがうけれども、その後原詩に親しむようになってわかったのは、この堀口訳がいちばん原詩のトーンに近いということ(三者のなかで)。
まあ、この安藤訳もネットなどで見るかぎりけっこう好評のようで、いちがいにけなすつもりはないけれども、やっぱり「戦慄」がないとダメなんだな、ボードレールには。
ジュール・ルナールがその日記に「ボードレールの、重量のある、あたかも電流が通じているような章句」と書いている。ボードレールの文体とはそういうものだ。