ベラミー「顧りみれば」


岩波文庫ユートピア文学の四冊目(山本政喜訳)。もうそろそろ食傷気味かな、とも思うが、この本はおもしろかった。たぶんロマンス*1としての出来では他の三冊を圧倒している。ここに述べられた理想郷としてのボストン(2000年のボストン)にしても、他のユートピアよりも実現の可能性が高い。いや、そのうちのいくつかはかたちを変えて二十世紀に実現しているといえるだろう(電話線を利用して各家庭で音楽を楽しむとか、いまのアマゾンその他の通販形態にも通じる大規模な流通システムなど)。

この小説が他のユートピアものと違っている点は、これが一種のラヴ・ロマンスであるということ。エレホンにもそれらしい展開はあったが、あれは一種の略奪婚に近くて、主人公の二人がほんとうに愛し合っているのかどうかはよくわからない。こっちのほうななにしろ一世紀をへだてた純愛の物語なので、感動はそれだけ大きい。ヒロインのイーディスのかわいさ、けなげさはおそらくグレートヘンをも凌駕する。こういう話を書かせるとアメリカの作家はさすがにうまい。この物語づくりのうまさはたぶんハリウッド映画にうけつがれている。

主人公のジュリアンは十九世紀末にメスメリズム(!)によって昏睡状態におちいり、百年以上眠りつづけたあげく2000年に蘇生する。そして20世紀のボストンのありさまをつぶさに観察しながら、百年前の同地を「顧りみる」。これが物語の骨子なのだが、ジュリアンはほんとうに百年後に目がさめたのか、それとも百年後の世界というのは彼のみた一夜の夢にすぎないのか、そのあたりがアンビギュアスになっているのもおもしろいと思った。

訳者の解説によれば、ベラミーのこの本はモリスにも影響をあたえ、彼をして「無可有郷だより」を執筆させたとのこと。いずれにせよ、この本の発する人道主義的な熱度はかなり高くて、これを読めば同胞愛(おおげさにいえば人類愛)が心中にめらめらと燃え上がることは必定である(たとえそれがいっときのことだとしても)。

ユートピア文学については、仏文ウィキペディアに詳しい紹介がある→(Utopie — Wikipédia)。これでみると、いかにもそれらしいのに混じって、ベルナルダン・ド・サン=ピエールの「ポールとヴィルジニー」とか、ヘッセの「ガラス玉演戯」とか、カルヴィーノの「見えない都市」とかがあがっている。ユートピアの定義はどうあれ、こういう逸脱の仕方には魅力がある。

*1:ユートピアものの元祖であるモアの本にすら、訳者はすでにロマンスの名をあたえている