ウィリアム・モリス「ユートピアだより」


岩波文庫ユートピアものの三冊目(松村達雄訳)。この本は便宜上(?)白帯に分類されているけれども、内容はほとんど文学作品なので、むしろ赤帯のほうが適当なように思う。そのことはとくに本書の後半に顕著で、そこで語られるテムズ河上りにはモリスの少年時代の思い出が揺曳しているし、末尾にいたって語り手が夢からさめるところの描写などを読んでいると、その別離の感覚の真実味のせいで、こっちまで物悲しくなってくる。

夢からさめる、といったが、この本は全篇が語り手のみた夢からなっている。モリスが十九世紀末にみた二十一世紀の夢。二十一世紀のイギリスでは、モリスの考える理想郷が実現されている。この理想郷がいかにして実現されたか。それを長々と説明しているのが、この本の眼目たる第十七章の「変化はいかにして訪れたか」で、この一章のためにおそらくこの本は白帯に分類された。

ところで、本書でいちばん退屈な部分がこの第十七章なのである。

ざっと読み返してみても、著者のいわんとするところはよくわからない。ただここには1887年の「流血の日曜日」事件が著者にあたえた衝撃が生々しく記録されている。そしてモリスの頭のなかでは、この事件が契機になってのちの共産主義社会主義国家(すなわちユートピア)が形成されるという筋書になっている。

そういう歴史的、時間的産物である彼のユートピアには、また一面において中世への思慕が色濃く打ち出されている。理論的社会主義者としてのモリスと、過去追慕主義者としてのモリスとがこの本のなかではわかちがたく融合しているのも興味ぶかい。

モリスは多才な人で、日本でもいっとき(大正のころ)もてはやされたことがある。私の敬愛する厨川博士の思想的バックボーンもじつはモリスに由来するところが大きいのではないか、とこの本を読みながら思った。