関口存男ドイツ語教


関口存男の「冠詞」という三巻本が復刻版で出たらしいが、一冊が5万円もする」
「5万円かぁ。そんな値段をつけて、いったいだれが買うんだろうね」
「さあね。でも関口には信者のような人がいまでもいるみたいだから、そういう人は買うんじゃないかな。まあ、お布施みたいなもんだろう。関口ドイツ語教で救われるんなら、それはそれでいいじゃないか」
「救われるって、いったいどういう状態が「救われた」状態なんだい?」
「関口本を読んでドイツ語ができるようになった状態がそれだろうね」
「関口本じゃなくても、いまはいい教材がいっぱいあるんだから、そっちでドイツ語をやればいいじゃないか」
「ははは、そこがもう信者からすれば度し難い凡夫なんだ。関口信者にとっては、関口ドイツ語以外のドイツ語はことごとく異端邪説なんだよ」
「ははあ、なんとなくわかってきた。しかしそれではあまりに小乗的だなあ。関口さんという人はもっと大乗的だと思っていたが」
「教祖が大乗的であればあるほど、信徒は小乗的になるものさ」
「その小乗のど天井が、たぶん三修社という本屋だろうね。三冊セットで15万円なんていう乗り物にはおいそれと乗れやしない」
「まあ小乗というのはそんなもんだよ。幸いにして、関口さんの本は「冠詞」だけじゃないんだから、これはとりあえず置いといて、ほかの本を使って修行に励めばいい」
「そうだ、それが関口教の火を絶やさないための、われわれにできるたったひとつの方法だろうね」
「うん、でもあんまり修行に身が入りすぎると、今度は「冠詞」が実際以上にありがたく思えてくるから、ほどほどにすることだね」