エリー・アメリンク「歌の翼に」

sbiaco2009-02-08



フランツさんのところで、今日がアメリンクの76回目の誕生日だったことを知った。そこで自分でもなにか書いて彼女の記念日を寿ぎたいと思った。

さて何について書くか、と迷ったが、もう長いこと書こう書こうと思いながらのびのびになっているCDがあるので、これについて書いてみよう。ものは1972年にEMIから出た「歌の翼に」。

ドビュッシーの歌曲集で彼女の存在を知った私が、その次に買った彼女のソロ・アルバムがこれだった。たしか2002年のことだったと思う。これがもう決定的で、以後長く彼女の魅力にとりつかれるもとになった。

このアルバムの魅力はなんだろうか。内容を客観的にみれば、各国の愛らしい小曲を堅実なピアノ伴奏にのせてアメリンクが楽しげに歌っているという、ただそれだけのものでしかない。歌曲ファンにすれば数多くある歌曲集のうちの、さして珍しくもない一枚にちがいない。

ところが、私にとっては事情がちがった。なにしろ歌曲にほとんどなじみのない人間がはじめて聴くリサイタル集である。私はこれを聴いて、自分のまったく知らない世界が目の前に開けるような、眩暈にも似た気分を味わった。それは一種の高揚感をともなうもので、ことに前半のドイツ・リートを中心とした歌曲群を聴いていると、ボードレールの詩句がありありと実感として体験できるような気がした。


「池の上遥かに高く、谷の上遥かに高く、
山、森、雲、海の上、遥かに高く、
太陽を遥かに越えて、虚気(えーてる)を遥かに越えて、……
軽快に、わが精神よ、汝は翔り、……」(高翔)


もちろん、彼女の歌は天空に翔りっぱなしというわけではない。後半のフランス歌曲を中心とする部では、地上すれすれにまで舞い降りてくるが、そこで彼女のみせる表情がまたすばらしい。ふたたびボードレールを引けば、


「婀娜として、おお、たおやかの魔女、きみが
若さを飾る種々(くさぐさ)の色香を、われは語らむか、
子供らしさと爛熟の
融けて凝りたるきみが美を、描きてきみに示さむか」(美しき船)


そして最後はまた空気の精になって、上空はるかかなたに縹渺とその姿を消してしまう。

……というのがこのCDのおおざっぱな印象だが、まあじっさいに聴いたことのない人には何をいっているのかさっぱりわからないだろう。

このアルバムにはほんとうに珠玉のような小曲がいくつも入っているが、私がとりわけ愛するのは最後のほうに入っているショーソンの「はちすずめ」とフォーレの「夢のあとに」。

「はちすずめ」はショーソンの歌曲のなかでも奇蹟のような出来栄えをしめしていて、これを聴いていると、生きていることの喜びとともに、すでに盛りをすぎてしまった人生の侘しさというものも感じざるをえない。そんなschmerzliche Suessigkeit*1を感じさせてくれる曲。

「夢のあとに」は最後のほうの歌い上げがすばらしい。Reviens, reviens, radieuseのところなんか、ほんとうに声が光を発しているようにきこえる。

このアルバム、一見したところ雑多な小曲の寄せ集めのようだが、私には起承転結のはっきりした、全体がひとつのまとまった作品ともいいたいような、一個の芸術品にみえる。本作を録音しおえて、アメリンクとボールドウィンのふたりは、会心の笑みをかわしあったのではないか。

*1:痛みをともなう甘さ