生田耕作・坂井輝久「洛中洛外漢詩紀行」


1994年に人文書院から出た本。名高い(?)仏文学者の名前が出ているけれども、彼は本書が世に出るきっかけをつくっただけで*1、直接的にはたぶんなにもしていない。原稿はすべて坂井氏が書いたものと思われる。ならば坂井氏の単著として出せばいいようなものだが、やはり内容が江戸時代の日本漢詩の紹介という地味なものなので、せめて生田耕作の名前を出してちょっとでも世間の耳目をひこうとしたのではないだろうか。それが結果(売れ行き)につながったのかどうか、そこまではわからないが。

売れ行きはともかくとしても、ネットを見廻すかぎり、本書を採りあげた記事はひとつもない。少なくともこの領域ではみごとなまでに無視されている。帯にある「(日本)文学史の書き変えに迫る画期的「文芸鑑賞読本」」の文字が虚しくみえてしまうのもやむをえない。

この本は江戸時代後期、おもに京都周辺で活動していた漢詩人の作品をあつめて釈義し、そこに歌われた土地や場所についてエッセイふうに語る、という体裁になっている。京都という町はわりあいむかしのたたずまいが保たれているように思うが、それでも近代化の波には抗しえず、江戸情緒のおもかげを残す地区は年々少なくなっている。そのことに対する歎きもこの本の基調としてある。

それにしても本書にあつめられた漢詩の数々。やはりいまの読者(私をふくむ)にはぴんとこないものが多い。読んでいてもいっこうに脳内快楽物質が分泌されない。私といえどもむかしの短歌や俳句のあるものにはちょっとは反応をしめすのだが、漢詩となるとどうも勝手がちがう。これは日本人の書いた漢詩であるという特殊事情に起因するものか、あるいは漢詩という表現形式そのものに問題があるのか。

そのこととはべつに、ひとつはっきりしているのは、これらの漢詩人が、あくまでも京都という狭い盆地に低徊しながら、身はあたかもいにしえのシナの中心(長安や洛陽)に遊んでいるかのような場所錯誤、時間錯誤をあえてしていること*2。ひいては京都を日本の中心、都と思い込んでいること。このあたりが読んでいてどうにもなじめない理由ではないかと思った。

江戸時代といえば、もう日本の中心は東のほうに移っていて、京都のごときは地方都市のひとつにすぎない。それにもかかわらず、京都の人々は自分たちの住んでいるところこそがほんとうの都だと信じて疑わない*3。こういう京都人特有の傲慢さと、その裏返しのルサンチマンとが本書の底に見え隠れしていて、それが私に反撥を感じさせるのではないだろうか。

この本で扱われている漢詩人のうちでは、やはり正統的な中島棕隠などよりも破天荒な畠中観斎のほうがおもしろい。観斎の漢詩(狂詩)は京都という土地をはなれてもじゅうぶんに通用するだろう。銅脈先生の異名をとるこの詩人には「太平楽府」という詩集がある。この詩集をおさめた「江戸狂詩の世界」(平凡社東洋文庫)という本をちょっと前に買ったので、これも近いうちに読んでみたい。

*1:日本漢詩の輪読会の主宰など

*2:そのせいでこれらの漢詩は壺中天のようにもみえるし、また盆栽や箱庭のようにもみえる

*3:いまでも、少なからず!