兎を懐く月


満月を見て、ああ、兎が餅をついているな、と考えるのはたぶん日本人だけだと思うが、餅つきはともかく兎の姿を月にみとめる例は他の国にもあるみたいだ。

ひとつはインド。カーリダーサの「天女ウルヴァシー」にこんな詩がある。

「兎を宿す月輪の
かの光芒はそのままに
今や余が身を安らわせ……」

「兎を宿す」の原語はsasin(シャシン)で、これはsasa(シャシャ)すなわち兎から派生した形容詞(名詞)。漢訳では「懐兎」といって月をさすらしい。

sasin以外にもsasaから派生した月関連の形容詞は多い。インドでは月と兎とはこのように緊密に結びついている。

もうひとつはカスピ海北西のカルムイク。18世紀にこの地方を旅したファラスという人の旅行記に出ている話をコラン・ド・プランシーが再録している(「地獄辞典」)。それによると、カルムイクには兎の姿をしたサキムニ(sakimouni)という神様がいて、ある日餓死しかけている男にわが身を与えて食わせてやった。地霊がこの壮挙に感嘆して、サキムニの霊を月に送った。それで、いまでも月に兎(すなわちサキムニ)の姿が見えるのだという。

この話はお釈迦さま(の前身)が飢えた虎にわが身を与えた話によく似ている。サキムニというのは釈迦牟尼(sakyamuni)の転訛ではないだろうか。

最後に、わが身を犠牲にして他者を救うというのは憐憫の究極のあらわれと解することもできるけれども、特異な嗜好として「他者に食われたい」という願望をもつ人もいるらしい。これについてはマイヴェス事件を参照のこと(→アルミン・マイヴェス - Wikipedia)。