「巴里幻想訳詩集」


去年(2008年)、国書刊行会から出た本。おもに戦前に出た異色の訳詩集を五つ集めてある。


「恋人へおくる」(矢野目源一、昭和8年、第一書房
「ヴィヨン詩抄」(城左門、矢野目源一、昭和8年、椎の木社)
「夜のガスパァル」(西山文雄、城左門、昭和7年、第一書房、のち増補)
「古希臘風俗鑑」(矢野目源一、昭和4年、第一書房
「巴里幻想集」(日夏耿之助、昭和26年、東京限定本倶楽部)


これらのうちで私がいちばん「おお!」と思ったのは「ヴィヨン詩抄」。これはどんな古本屋でも見かけたことがなかった。ヴィヨンは私の偏愛する詩人で、その全作品(隠語のバラッド含む)を原文で読んだ外国の詩人は彼以外にはいない。その詩人の幻の訳詩集が入っている、というのであわてて図書館に予約を申し込んだ。さすがにこれだけのために本一冊を買おうという気にはなれないので。

しかし、その他の訳詩集もそれぞれ特色のあるすばらしいものだから、単行本でもっていない人は買っておいてもいいと思う。本書自体かなり高価なものだが、それぞれの訳詩集を古本屋で買うと、たぶんその数倍のお金を払うことになるだろうから。

で、その「ヴィヨン詩抄」だが、譚歌(バラッド)を中心に十篇採録されている。これがとんでもなくすばらしい。なにがすばらしいといって、まず原文のあとがまったくみえないこと。いいかえれば、原文はたんなるネタにすぎず、訳者ふたりはそのネタをもとに、勝手気ままなファンテジー(幻想といってもいい)の花をこれでもかと咲かせている。

「小唄を作り、戯句(ざれく)を吐き、さては鈸(ねうばち)叩き、琵琶を弾き、押し並べて、言語道断の野師ばらが、茶番狂言を物して、禁厭(まじない)なんどあしらひつ、笛鳴らし、市中(いちぬち)や、御城下先へ立廻り、仁輪加(にわか)とやらの、盆蓙(ぼんござ)布(し)くとやらの、際物芝居(きはもの)打つとやらの。あれこれの賭け歌留多が利分、九柱戯が利分、さあ、これが落行く先はと申さば、まづまづお聞きあれ、一切合財が酒と女にぢや」

原文はこんな感じ。


Ryme, raille, cymballe, luttes,
Comme fol, fainctif, eshontez;
Farce, broulle, joue des fleustes;
Fais, es villes et es citez,
Farces, jeux et moralitez;
Gaigne au berlanc, au glic, aux quilles:
Aussi bien va, or escoutez!
Tout aux tavernes et aux filles.


訳者のあとがきによれば、まず矢野目が逐語訳をつくり、それを城が自分流に書き改めてできたのがこれらの訳詩らしい。つまり城は翻訳の翻訳をやっていることになる。「夜のガスパァル」でも彼は西川の訳を下敷きにして同じことをやっている。のみならず、この本では、のちに増補版を出すにあたって、あろうことか共訳者の名前を削って単独の名義に変えている。

城左門いわく、「何故僕が一人で翻訳に当らないのか?……実はだらしの無い話だが僕はフランス語を解さないものなのである。さてこそだ、何時でも寄生樹みたいに、誰かフランス語を能くするものと組んでは仕事をやる所以なのである」と。

ううむ、いいのかな、こんなちゃらんぽらんで……と思うが、まあ読み手からすればできあがったものがおもしろければそれでいいのかもしれない。とはいえ、ちょっと釈然としないものが残るのも事実だ。

「ヴィヨン詩抄」以外のものにふれている余裕はないけれども、それらについて書き出せば自分の過去がずるずると引きずりだされてくるのでやめておく。日記の主旨にのっとって、とりあえず「いま」の関心だけを書いてみた。ほんとはもっと書きたいんだが……これだけの本が出ていながら、ネットではさっぱり話題になっていないみたいなのでね。