音楽、その精神性と肉体性


このところ音楽についてあまり書かなくなった。書かなくなったというより書けなくなったといったほうがいい。CDを聴くのをやめたわけではないが、感想文作成欲を刺激するようなものになかなか出会わなくなっている。フェラーラ・アンサンブルとかマーラ・プニカとか、おもしろいものはいろいろあるんですがね。

さて、巷のCDショップでよく見かけるものに、「子供といっしょに聴くクラシック」というような題のCDがある。情操教育の一環としてわるくないと思うし、こういった企画にケチをつけるつもりは毛頭ないけれども、しかし子供というのはなかなか親の思いどおりにはならないもので、親がすすめる古典的名曲をすなおに喜んで聴く子供はほとんどいないみたいだ。

では子供が喜ぶ音楽はどういったものか。私の経験によると、テンポの早いロック、それも歪んだ音でドタバタやるハードなものが子供にはいちばん喜ばれる。ジャズ系4ビートやファンク系16ビートはあまりうけない。要するにソフィスティケイテッドなものはダメで、ベタな8ビートが子供の心にはいちばん訴えかけるものをもっているらしい。

ロックの歴史は60年くらいだろうか。おそらく1950年代に電気楽器が本格化してから普及したものだろう。そういう歴史の浅い音楽ではあるが、しかし上に書いた子供の例でも顕著なように、この音楽には人間のもつ根源的な欲求にアピールするところがある。ロックは耳ではなく体で聴く音楽だ、とよくいわれてきたが、比喩的な意味でいえばそれはあたっていると思う。その特徴は、パルスに近い均等なリズム、大音量、あらゆる点で歪んだ音、この三つだ。

さて、こういった面でロックに革命をもたらしたのがジミ・ヘンドリックスで、ロックの歴史はジミ以前、以後ではっきり二分される。このことについては前にもたしか書いたので繰り返さないが、今回you tubeでジミの演奏をいろいろ見ながら、こいつはDQN以外のなにものでもないな、と思った。ロックのDQN性については、これも以前からさんざんいわれていることだが、たしかにこういった面も従来のクラシックやジャズにはなかったものだ。そして、人間はこういうDQN的なるものにも否応なしに惹かれる心性がある。

もちろん、音楽におけるDQN性はロック以前にもあったので、ただそれが全面的に開花せず、一部の低俗な(!)嗜好としてほそぼそと(?)享受されてきただけのこと。たとえばジャズではアート・ブレイキー一派にそういった傾向が顕著だし、リズム&ブルースのホンキートンクなピアノやサックスのブローも聴き手の原始的な欲求に応えるものだろう。クラシックでも、たとえばクレンペラークナッパーツブッシュといった指揮者の演奏を好む人々は、じつは音楽の精神性よりも肉体性を重んじていたのではなかったか。

というわけで、ロックは当時の若者に熱狂的に迎えられて、その波は日本にも押し寄せてきた。しかしそれがいかに人間精神の根底をゆさぶるものであったとしても、そのあまりのDQN性に違和感を感じていた人々もいたはずだ。では彼らはどんな音楽にみずからの嗜好にかなうものを見出したか。それが70年以降のテレビ、ラジオを席巻する歌謡曲だった、と考えるのだが、これについてはまたいつか書こう。オヤジ限定という枠をもうけて。