新井白石「西洋紀聞」


キリシタン文学の一変種。宝永5年(1708年)に最後の潜入者として日本にやってきた宣教師ジュアン・シドチ(ヨワン・シロウテ)の談話を新井白石がまとめたもの。当時のヨーロッパ事情の紹介として、画期的な意義をもつものとされているようだが、出版されたのは意外に遅くて、明治16年(1883年)に大槻文彦の校訂で出たのがいわゆる「初版」のようだ。

内容は広義の博物学に関わるもので、いまとなっては新味はないが、異国情緒はたっぷり味わうことができる。白石の才気煥発ぶりやシドチの廉潔なひととなりもよく描き出されている。

「グルウンランデヤ、寒凍極めて甚しく、人物を生せず。……ヲヽランド人の説に、むかし、本国の人相議して衣食器械、寒をふせぐべき物どもを備えて、この地に就いてとどまる。かくて、明年に至って本国の人、また至って見るに、その人、坐するものは坐ながら死し、起つものは起ちながら死して、一人も生活するものなく、その肌肉、乾脯のごとくにして、腐爛せず」

まるで映画の一シーンのような精彩ある描写ではないだろうか。

「按ずるに、この国(セイロン)の南地に、コルンボと称ずる所あり。その人色黒し。漢にいう所の崑崙奴、あるいはこれなり。ヲヽランド人の説に、およそ赤道に近き地の人、ことごとく皆クロンボにして、その性慧ならずという。そのクロンボというは、コルンボの音の転ぜしにて、その人色黒きをいうなり(ここに、黒色をクロシという。されど、近俗、人の色黒きを、クロンボというは、もとこれ番語に出づ)」

くろんぼ(黒ん坊)がもとは外国語だったなんて、ご存じでしたか?

白石はまたこうもいっている、「ここに知りぬ、彼方(ヨーロッパ)の学のごときは、ただその形と器とに精しきことを、いわゆる形而下なるもののみを知りて、形而上なるものは、いまだあずかり聞かず」と。こういった考え方は明治のいわゆる和魂洋才にそのまま直結するようでおもしろいと思った。